「明るくしっかり者だった母が、年を重ね、衰えてきている。そのことを頭ではわかっているつもりでも、心ではなかなか受け入れなられなかった。そんな母を認めたくない、という気持ちがありましたし、母を見て泣いてしまったこともありました」
そう語るのは、おニャン子クラブでデビューしたタレントの新田恵利さん(48)。母・ひで子さん(87)を神奈川県内にある二世帯住宅の自宅で介護する生活を送っている。自身の介護経験を基に「少しでも誰かの役に立てれば」と、介護についての講演も行う恵利さんは、東京都千代田区地域福祉計画策定委員にも任命された。
「母の介護を始めて、9月で丸2年になります。当時85歳だった母が背骨を骨折し、入院したのがきっかけ。心の準備も何の知識もないまま突然、母の介護は始まりました」
自分を産み育ててくれた母が、今は自分の介護なしでは、食事や排泄すらままならない。“母”という存在をどのように捉えればいいのか−−そう苦悶することもあった。そんな状況を恵利さんはどう乗り越えたのだろう?
「母が寝たきりになってすぐに、ブログで介護について告白してみたんです。そうすると、小学校時代の友達が『実は私もね……』と“介護の先輩”であることを打ち明けてくれて。それからも共感してくれる人がまわりにたくさん現れたんです。ブログを書いたり、友人に話したりすることで、介護についての情報も仕入れられるし、何より慰められることが多くありました」
一人で抱え込まなかったことがよかったという。
「親の介護は決して恥ずかしいことではありません。だから誰にも言わない“隠れ介護”は絶対ダメ!つらいとき、抱えきれないとき、わからないことがあったときには、『一人じゃ無理です!助けてください』と、声を上げること!ケアマネジャーさんも、こちらから声を上げたほうがスタッフは動きやすいと教えてくれました。“言いふらし介護”ぐらいのつもりでいいんじゃないかな(笑)」
そうするうちに気持ちもだんだんと整理できるようになり、お母さんとの今の状況を、「これが現実だ」と受け入れられるようになっていったと恵利さん。お母さんとの向き合い方自体が変化していった。高齢になってから“子ども返り”することを「二度童子」とも言うそうだが……。
「母はどんどん子どもに返っていくんだと理解する。そして“一人の人間”として母を見る。娘としての母への思いや、意識の中での母のポジションを切り替える−−。母との向き合い方を見つめ直すことが大切だった気がします。そして、それができたとき、気持ちが楽になりました。母が楽しそうに笑えば、私も幸せになれることに気がついたんです」