「グルメリポーターとして僕がお店に行ったことで、間違ってもお客さんを減らしたくない。ある意味、僕は勝手にお店や商店街の宣伝部長だと自負しているの。テレビの基本はみんなが笑顔になること。ただ、大勢の人が見ているぶん反響も大きい。僕は嘘をつきたくないし、あくまで正直でいたいし、料理を作ってくれた人に対する感謝も表したいんだよね」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第73回のゲスト・ホンジャマカの石塚英彦さん(54)。渡辺プロダクションが立ち上げた業界初の若手タレント養成機関「ビッグサースデー」の1期生で、中山とは同期。そんな30年来の付き合いとなる2人が語り合ってくれました。
中山「石ちゃんと初めて出会ったのは、もう30年以上前。僕たちは’84年に渡辺プロダクションが立ち上げた業界初の若手タレント養成機関「ビッグサースデー」の1期生で、同期なんですよね。今やグルメ番組では盤石の地位にいる石ちゃんですけど、そもそも渡辺プロに入ったのはなぜなんですか?」
石塚「僕は演劇の世界に入りたくて、大学2年のときに休学して、劇団ひまわりに2年間在籍していたんだよね。僕は真剣に演技をしているのに、なぜか周りがクスクス笑う。事務所の人に『君は笑わせて怒られるここよりも、褒められるところに行ったほうがいい』と言われて、お笑いに進むことにしたの」
中山「そこでタイミングよく、ビッグサースデーの募集があったんですね」
石塚「同期のほとんどが20歳前後だったのに、秀ちゃんは断トツで若くて、まだ16歳。『子どもに笑いがとれるのか』と最初は遠くから傍観していたんだよ。だけど、ものすごく笑いをとって『おぉー。すげー!!』と思っていたのもつかの間、あっという間に人気が出たよね。僕たちが一般道だったら、秀ちゃんは高速道路のようだったよ」
中山「いや、運がよかったのもありますよー」
石塚「昔は、他人を蹴落としてでも自分が売れたいとギラギラしている人が多かったから、レッスンもすごく殺伐としていたじゃない。ほかの人のネタが面白くても、絶対笑わないように、みんな脚をつねったりして我慢していてさ。そんななか、秀ちゃんは素直に笑っていたのをすごく覚えているよ」
中山「やっぱりまだ子どもだったんですよ。仲よくなってからは、石ちゃんはよく僕が入っていた事務所の寮に遊びに来たし、当時の現場マネージャー含め3人で石ちゃんのネタや、『石ちゃんの面白さはどうやったらうまく伝わるか』と一緒に考えましたよね。文化祭の営業も一緒に回ったし、本当に懐かしいなぁ……」
石塚「ビッグサースデーには作家志望の部門もあって、三谷幸喜さんも僕らの同期。僕が舞台でアガってしまうから、三谷さんが僕にお笑いのセールスマンという役を与えて、台本も書いてくれた。そしたら、途端にやりやすくなったの。でも、ネタ自体が面白くなかった……。『一升瓶よ、オマエは一生、瓶だなぁ』って(笑)」