「今年は1月2日から仕事でした。3人の息子とは『年に1回、お正月はみんなで会おうね』が約束ですが、今年は息子たちも元日から仕事で。例年のように会うことはできませんでしたけれど、元旦に3人からメールが届きました」
こう語るのは、歌手デビュー45周年を迎え、現在も精力的に音楽活動を行っている森昌子さん(58)。彼女は、’58年生まれで、栃木県宇都宮出身。’71年に『スター誕生!』(日本テレビ系)の初代グランドチャンピオンになり、’72年、デビュー曲の『せんせい』が大ヒット。’85年にはNHK紅白歌合戦の『司会とトリ』を務め、国民的歌手となるが、’86年、結婚のため引退。
結婚後、’88年に長男(28=ロックバンド『ONE OK ROCK』のボーカル・Taka)を出産。次男(27=会社員)、三男(23=ロックバンド『MY FIRST STORY』のボーカル・Hiro)の3人を育てながら’06年、20年ぶりに歌手復帰した。そんな彼女の子育て術をつづった本『母親力 息子を「メシが食える男」に育てる』(SB新書)が2月7日に発売。そこで、昌子さんに子育てについて話を聞いた。
「いまのお母さん方に比べると、私はかなり厳しいお母さんです。もちろん、3人とも男の子ということもありますが、たとえば、公園に行って、何かにつまずいて転ぼうが平気でした。手助けもしないで『自分で起きなさい!』と。叱る場合も、いけないことをした瞬間に叱らないと意味がない、効果がないと考えて人前でも平気で叱りました。ですから、母から『鬼のような母親だ』『私はそんな人間に育てたつもりはない』とよく言われました(笑)。私は一人っ子で、本当に甘やかされて育ちましたけれど、13歳で大人の世界に足を踏み入れて『生きていくことの大変さ』を思い知りました。とくに男の子=男性はそうですね。仕事だけでなく、家族を養っていかないといけませんから」
こうした思いが子育ての根底にあり、昌子さんの子育ては「しつけ」「経験」「自立」の3本柱になったそう。
「『しつけ』は、まず、言葉遣いと目上の人を敬う気持ち。そこで、幼いころから、親はもちろん自分の兄弟にも敬語を使うようしつけました。ですから、次男、三男はいまでも長男と話をするときは敬語を使っています。もちろん食事のマナーや、ものを粗末にしてはいけないということも、ときには手をあげて厳しく教えました。『経験』については、1歳半ぐらいから、オムツとミルクのボトルを入れたリュックを背負わせて、いろいろな塾通いをさせました。お友達との触れ合いを経験することで『社会性』を身につけてもらおうと考えて。『自立』とは『18歳になったら家を出なさい』と。私から見れば18歳は立派な『大人』ですし、私は、息子たちが18になるまで自分の身を削って子育てをしてきて、もうやり残したことはなかったですから」
息子たちが移り住んだのは2階建ての安いアパート。昌子さんは「家賃と学費は出してあげる。あとはアルバイトでもして自分で稼ぎなさい」と言ったという。
「息子たちはコンビニで働いたり、家庭教師をしながら自活していましたが、自分でお金を稼ぐことは大事な社会勉強ですからね。3人とも反抗期はもちろんありました。そのとき私は臆せず息子に立ち向かおう、息子と闘おうと思いました。ですから、取っ組み合いや殴り合ったこともありましたし、一度ですけど、長男が向かってきたときに、私は台所から包丁を持ってきて『おまえを殺して、そのあと母さんも死ぬから』と言ったことがありました」
子育てにはいろいろな考え方、やり方があると昌子さん。
「私は、それくらいの覚悟がないと本当の意味での子育てはできないし、『子を思う親の気持ち』は伝わらないのではないかと思います。息子たちは3人3様の人生を歩んでいて、顔を合わせるのはお正月ぐらい。あとは携帯やメールでの交流ですけれど、いくつになっても私の子どもですから。いまでも息子たちに何か起きた場合は、親である私の責任だと思っていますし、『母親』というのはそれくらい強い覚悟で子どもに接していかないといけないと思うんです」