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「友達が『ぎんざNOW!』に応募して、オーディションに行ったら受かっちゃって。そのまま5週連続勝ち抜いた結果、ずるずるこの世界にいるわけです」

 

そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第76回のゲスト・タレントの小堺一機さん(61)。中山がデビュー時にとてもお世話になったという小堺さんと2人、「何が出るかな」でおなじみ『ごきげんよう』さながら、トークたっぷりの時間を過ごしました。

 

中山「初めてお会いしてから、もう31年ですよ。『いただきます』(『ごきげんよう』の前身番組)に出していただいて」

 

小堺「秀ちゃんが17歳で、僕が28歳のときか。頑張ってたね」

 

中山「当時はどんな思いでしたか?」

 

小堺「まず、ありえないと思ってた。そのころは『欽ちゃんのどこまでやるの!?』のグレ子をやってたから、『笑っていいとも!』後の番組をできるわけないって。それなのに、朝からスタッフが大勢来て、発表会見で『司会の小堺一機さんです』って紹介されて、質疑応答まで……最後まで手の込んだどっきりだなと思ってたら本当だった」

 

中山「まったく信じてなかったんですか?」

 

小堺「そんなわけないもん。その直前に初出演のドラマでNGを16回出して、ディレクターにひっぱたかれてるんだよ」

 

中山「『欽どこ』で関根勤さんとやられていた“クロ子とグレ子”もすごい人気でしたよ」

 

小堺「それも僕と関根さんは1回、役をクビになってからのことだから。僕たちとしては、挫折したグループだし(笑)」

 

中山「そうだったんですね。でも『いただきます』は人気になっていきますよね」

 

小堺「初めのうちは評判もよくなくて、『空っぽのやつが汗かいてるだけ、消えて“いただきます”』なんて記事も書かれて。矢面に立つってこういうことなんだって、それまでは堺正章さんや、萩本欽一さんがいたでしょ。でもさすがに受け止めるしかないから『いつでも消えてやる、3カ月で終ってもいいや』って開き直って、変なことを言い出したの。小森(和子)のおばちゃまたちに『こんな人、悪寒が走るわ』って言われたら、『どうせ入りますよ、もうすぐお棺に』とかね。そしたらウケ始めた」

 

中山「番組も変化していくんですね」

 

小堺「それとね、僕が空回ってたものだから、関根さんが『“あんなに面白いおばさんたちがいるのに、なんで1人でしゃべってるの”って堺さんが言ってたよ』って教えてくれて。萩本さんに『お前にピンの仕事はこない、全部自分でいっちゃうから』と言われたこととかを思い出して。人の話を聞くのも大事な仕事だったんだよね。自分だけ頑張ろうとすると、うっとうしく見えちゃう。それで自分の話を半分にしたら、宝物のようにおばちゃまたちから面白いことがザクザク出てきたの」

 

中山「視聴率が上がっていきましたよね。僕はそのころに番組に入れていただいて、女のコにキャーキャー言われるようになって生活が変わりましたよ(笑)」

 

小堺「僕はその前に萩本さんに『視聴率10%は子どもと女のコが騒ぐ。20%でおばさんが“あら”って声をかける。30%超えるとおじさんが“おっ”と言う』って言われてるから。調子には乗らなかったと思う」

 

中山「萩本さんは1週間で視聴率100%とってたんですもんね。“100%男”と呼ばれて。でもやっぱりうれしいことですよ」

 

小堺「そうだね。人から見たら調子に乗ってたかもしれないな。取材もたくさん入って、『10分ずつでお願いします』なんて、これが売れるってことだって思ったよね。僕もキャーキャー言われたんだから」

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