伊東ゆかりさん(69)、中尾ミエさん(70)、園まりさん(72)からなる「スパーク3人娘」は、3人がレギュラー出演していたフジテレビ系『森永スパーク・ショー』に由来する。’62年に結成されて『NHK紅白歌合戦』にも出演。3年の活動で自然解散したが、’04年に再結成された。結成55年、“古希”を迎えた3人娘が結成当時のことから、これからのことを語り合ってくれました。
ミエ「スパーク3人娘として活動を始めたのは’62年だから、ずいぶん昔よねえ(笑)」
ゆかり「当時、3人とも事務所が同じで、テレビ番組にも一緒に出ていて。事務所の方針で『3人を営業で回らせたらいいんじゃないか』ということになって−−」
まり「寝る間もなく、3人で日本中を回りました」
ミエ「あのころは新幹線もなくて、移動も大変。寝るのは夜行列車という生活だったから、肉体も極限状態で……」
ゆかり「しかも、1日3回ステージは当たり前だった」
ミエ「今は、みんな普段着みたいな格好で出てくるけれど、私たちの時代は真冬でも、ちゃんとドレスを着ないとステージには出られなかった」
まり「雪の上でも肌の出たドレスで歌いましたねえ」
ミエ「劇場にはエアコンなんてなかったから、冬はステージに火鉢が置いてあって(笑)。バンドの人たちは火鉢で手を温めて、演奏していたね」
ゆかり「夏はステージに氷の柱がありました(笑)」
まり「73歳になって−−最近は歌と、自分の大病(乳がん)と両親の介護の話を交えたライブの仕事が非常に増えてきて。今の私には本当にやりたかったことが見えてきて、『人生、これからだ』とすごく思っています」
ミエ「古希になったのは去年の6月だったけど、70歳になると、はっきり先が見えてくる。たとえば、体を使う仕事は、できてもあと10年だから、今できることを、今やらないと間に合わない。そう思って、今年の1月に、私がプロデュースしてレビューをやりました。金井克子さん(71)と前田美波里さん(68)と一緒に。2人からも『やるなら1日も早くやろうよ』と言われて(笑)。あと、私は’15年から『ザ・デイサービス・ショウ』というミュージカルもやっているけど、『林田ヨネ』役の正司花江さんは80歳ですよ。正司さんだけでなく、どこへ行っても私より先輩がいらっしゃるし、常にそういう方たちを見つめながら、できるところまで現役でいたいと思っています。ゆかりは、今年古希でしょう?」
ゆかり「もうすぐ。4月6日が誕生日だから。『古希』と聞いて、まず頭に浮かぶのは、父が亡くなったとき70歳だったの。だから『私は、もう70歳だ。父親が死んだ年だ』と思うと『死』というものがすごく目の前にきて……」
ミエ「わかる。人ごとじゃないものね」
ゆかり「ミエさんが言うのとちょっと意味が違うけど、私も『死』が目の前にきているので、先が見えている。だから、ウダウダしないで『やりたいことをやるのは今のうちだ』という思いはすごくありますね。最近『終活』が話題になっていますけど、何かしています?」
まり「昨年の暮れに、99歳の母が亡くなって自分ひとりになってしまいました。母を見ていて実感したのは、他人にご迷惑をかけないようにしないといけない、と。だから、高齢者専用のマンションで、介護をしてくれるシステムのところを、もう考えています。それと、断捨離というの?それができたらいいな、と思っている」
ゆかり「『迷惑をかけないように』と言うけれど、死んだら迷惑をかけるのよ」
ミエ「死ぬ前もね」
まり「私はひとりだから」
ゆかり「ひとりでも。だから、私は『迷惑をかけない』とは言わない。『死が目の前にきている』と言いながら『終活』について考えたことはないけど……、お墓のことぐらいかな」
ミエ「私は独身で、子どももいないからお墓はいらない。財産も残さない。世間を見ても残せばもめ事になるから。それよりも、私は、これからは『ザ・デイサービス・ショウ』のような高齢者をテーマにしたミュージカルを作って、死ぬまで働きたいと思っています」
ゆかり「それがいちばん理想よね。最期まで働くのが」
まり「そうですね」
ミエ「そして、舞台の上でばったり逝けたらいいな、と思う。そのときは周りに迷惑をかけると思うけど『それくらいは面倒見てくださいよ』という感じよね(笑)」