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6月18日は「父の日」。そこで、近年に父親が他界した有名人女性が、“親子の絆エピソード”を語ってくれた。愛を込めて――天国のお父さんへ「ありがとう」

 

「お父ちゃんは、いまごろ向こうで、のんのんばあ(※子どものころの水木しげるさんに妖怪の話をした老婆)に会って話していると思います。あと、好きだった小説家のゲーテとかとも話しているんじゃないかなぁ。楽しんでいることは間違いないでしょう。常に人を笑わせようとする面白い人で、いつもバカな話ばっかりして、小さいころからずっと、私も姉もお父ちゃんのことが大好きでした」

 

そう話すのは、故・水木しげるさん(享年93)の次女でエッセイストの水木悦子さん(39)。悦子さんが子どものころは連載の締切りでいつも忙しくしていた水木さんだが、それでも週末は家族と過ごす時間をちゃんと持つようにしてくれていた。

 

「あるとき私が『学校でいじめられるから行きたくない』と言ったら、父は『行きたくないんだったら行かなくていい』と、言ってくれたのです。『ああ、行かなくていいんだ、なんていいお父さんなんだろう』とうれしかったのを覚えています。子どもなりに苦しんでいる気持ちを理解してくれたのがうれしかったのです。結局、学校にはちゃんと行きましたが--」

 

水木さんは悦子さんにいろいろなものを見せてくれた。

 

「取材に同行してあちこち出かけました。西アフリカとかパプアニューギニアとか、あまり人が行かないようなところばかりでしたが。父は現地の人からとっても好かれて、どこへ行っても大歓迎されていました。特にパプアニューギニアは、父が戦争中にいた場所であり、命の恩人である現地の人には、よく会いに行っていました」

 

いつも優しい水木さんだったが、一度だけ大激怒したことがあった。

 

「私がアパートの部屋を決めて、『一人暮らしをします』と宣言したとき、『許さん!』と烈火のごとく怒ったのです。あんなに怒った顔は後にも先にもあのときだけ。あまりの勢いに、一人暮らしの話は瞬時に立ち消えです。お父ちゃんが亡くなって一年半がたちましたが、いなくなったという実感はあまりありません。今でもお父ちゃんがそばにいるように感じています」

 

水木さんの最期には立ち会えなかったが、お葬式の前夜、悦子さんはお寺に泊まって、父と思う存分話をした。

 

「お寺を出るとき、お堂から視線を感じたのでふと見ると、お父ちゃんがいつものように笑顔で私に手を振っていました。私も『じゃあね』って手を振り返した。そこで最後のお別れができた気がしました」

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