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乳がん治療のため、右乳房を全摘してから1年4カ月になるだいたひかるさん(42)。ご主人が家中に「大丈夫」と張り紙をしてくれたエピソードや「がんはテロのようなもの。個人では防げないから、心配しすぎない」という格言(?)が印象的だったが、その後の様子が気になり、連絡をしてみると……。「妊活再開にチャレンジしようと思ってます」と回答が!前回同様ご主人の小泉貴之さん(39)共々、インタビューに答えてくれた。

 

だいた「妊活再開について説明したいんですが、ちょっと話が遡ってもいいですか?私が38歳のときに結婚してるんで、すぐ子どもを作ろうって話してたんですね。それで翌年になって本気で取り組もうと産婦人科に行ったんです。そうしたらちょうど排卵日で、仲よくしてくださいって言われたんですよ」

 

小泉「仲よくって、その、そういうことです(笑)」

 

だいた「そう。それで仲よくして1週間後に病院に行ったら、『おめでとうございます』って言われて、実感わかないまま説明受けました。それから数日後に実感のないまま化学流産という、生理のような出血で流れちゃって」

 

小泉「その後またすぐ、4月に妊娠したんですけど、また化学流産になってしまって。もう大学病院で人工授精をしようとなって、それからはあっという間でした」

 

流産経験後、すぐに妊活を再開するパワフルさは、いかにも二人らしい。しかし、結果的には大学病院でもうまくいかず、不妊治療専門クリニックに転院した。

 

小泉「僕は、注射を打たれるわけでも内診されるわけでもないですから、実体験としては妻の大変さはわからない。クリニックに通うようになっても、温度差があったと思います。最新技術を用いた治療でも1回目の移植ではかすりもせず、2回目で着床したんですけど、また化学流産しちゃって。自分も落ち込んでるけど、妻の気持ちは想像することしかできなくて……泣きたい気持ちになったこともあります」

 

だいた「お互いピリついたりして、正直しんどかったです。でも、凍結してある受精卵がまだあったんで、次いこう!と3回目の移植周期に入りました。けっこう気合入ってたんですけどね、出血があったんで移植がキャンセルになっちゃって。それが、運命の分かれ道だったんですよ。移植のスケジュールが飛んだことでぽっかりと暇になって、乳がん検診に行くことにしたんです。そして乳がん発覚というね、また自覚のないまま未知なる世界に足を踏み入れてしまいました」

 

小泉「あのとき、ひかるちゃんは、子どもはもう無理かもって完全に思ってたよね」

 

だいた「うん。もう無理だなとおもったんですけど、がん治療の前にあともう1回採卵して凍結しよう、後悔しないようにと夫が言うので、またクリニックに行ったんです。……で、卵子は採れずに終わりました。私、空っぽになっちゃった、と思ったくらい落ち込みました。だけど、乳がんに早く気がつけたのは移植キャンセルになったおかげだし、不妊で自分の体と向き合う経験ができていたのはよかったなと思えたんです」

 

小泉「赤ちゃんができたらおなかに神経が集中して検診に行ってなかったと思うから、妻の命が、赤ちゃんに助けられたんだと思いました」

 

最後の採卵は失敗という結果だったが、移植できずに凍結してある受精卵が1つある。抗がん剤治療後のホルモン療法を中断すれば移植が可能で、だいたさんが通うクリニックではそういう前例があるそうだ。

 

だいた「雪の日に朝から並んだり、注射の多さや薬に戸惑ったり、めちゃくちゃ大変でしたけど、自分は恵まれてたんだと今になってわかります。病気だったらできないですから。妊娠して出産できる健康があって、この人の子どもが欲しいと思える夫がいるって、すごく幸せなことですよね。こうしてクリニックから離れてみると、あー、いいなって思うんです。また、あそこに行きたいなって」

 

小泉「たとえばホルモン治療をきっちり終えて46歳。それから移植しても出産できるかもしれないよ?クリニック卒業生の最年長、新記録作ってみたいよね?」

 

だいた「それが実現したらすごい。自己責任になるけど、この1~2年で薬を中断して移植するのもありかもとか、最近はやる気まんまんで話すことが多いです。二人の受精卵を戻して、1日でも“あ、今、おなかにいるんだな”って思える日がきたら、すごく楽しみ」

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