第2回 妻の涙…それは家族の絆
医師から病名を告げられた妻は茫然としていた。
「本当に悲しいときというのは涙なんて出ないものです。身体全体に震えが走りました。私はこの先どうしたらいいのか……。神様を恨みました」
それでも妻として夫を支えるために、これ以降、病院への付き添い、車の運転はすべて彼女が行なった。
そして、その2日後。血液検査の結果が出た。そこで8~9割がた悪性リンパ腫であることが判明。専門医がいるいまの病院にすぐに転院し、悪性リンパ腫のなかでもどの種類なのかを特定するためにCT検査と生検をおこなう。CTをとると、お腹のなか、左肩のリンパ、骨髄へも転移していることが分かった。ガンは予想外に進行していたのだ。
「転移が分かったときは、正直、ショックでした」
ショックを和らげてくれたのは隣にいた妻の存在だった。
「このときは本当に妻がそばにいてくれて心強かった。ガンだということが分かってから、自分は何のために生きてるのか、何のためにこれから治療を受けるのかということをすごく考えました。それは妻のため家族のためであり、その先には
SOPHIAもあり、ファンもいるからで。“自分は一人じゃないんだ”というのがすごくあったんですね。だから、この病気と向き合って絶対治してやると腹をくくったんです。これがもし、自分一人のためだけだったら、の時点で心が折れていた可能性が高いです。やけになって朝まで酒を飲みまくったりしてたかもしれないですね」
腹をくくってからは、入院が決まって治療が始まるまでの間に自分はなにをすべきかということを考えた。まず、生検の手術を
受ける前に子供たちに病気のことを話そうと夫婦で話し合って決めた。手術を受けると松葉杖をつく自分を見せることになること。またこの先、抗がん剤治療が
始まれば、いまとはまったく違う自分の姿を見ることになるだろうから、いうならいまだという夫婦の判断だった。長女(3)はまだ理解できていないかもしれ
ないが、長男(6)には都から「パパはいま病気で、治すには時間がかかるから、その間はママのいうこと聞いていい子にしてるんだよ」と話して聞かせた。側で聞きながら、妻は子供たちのことを思って泣いた。
問題はSOPHIAのツアーだ。この時点で、SOPHIAのメンバーにも悪性リンパ腫だということは伝えた。ツアーのリハーサルにはあれ以降、まったく参加してない。だが、都自身は2月20
日・戸田市文化会館で行なわれるSOPHIAのツアー初日には「絶対に出る」と考えていた。その公演日から逆算して、生検の手術の日程はわざわざ前倒しにしてもらった。生検の結果が出るのは22日以降。即入院という結果も踏まえて、自分がたとえ欠けてもSOPHIAがツアーができるようにと考え、自分が演奏するキーボードのパートを録音したものも準備した。
※第1回「衝撃の告白までの軌跡」はこちら