安倍首相の「戦後70年談話」が話題だが、国民一人一人に“私だけの70年談話”があるはず。そこで著名人に語ってもらった「この人生を歩んできた私だからおくるメッセージ」。
’14年12月、NHK生番組で「戦争は絶対に起こしちゃいけない」と訴えたベテラン俳優・宝田明さん(81)が語る、9条とアジアへの思い−−。
私が生まれた昭和9年とは、世界恐慌のあと、多くの農家の娘が売られ、女子は『女工哀史』のように紡績工場で働き、農家の次男・三男坊は、海外移住という時代でした。
父はハルビンで満州鉄道の技師として働いており、周りにはロシア人も多く住み、「五族協和」という標語で形成される国家では、ご多分にもれず、私も軍国少年でした。小学校高学年でハルビンの軍隊の内務班に所属され、関東軍の精鋭とともに寝起きし、軍事教練を受けました。
しかし、戦局が怪しくなり、8月6日にはラジオで化学爆弾が広島に落とされたと知り、9日には長崎にも。同夜にものすごい爆撃の音が聞こえました。ソ連が日ソ中立条約を破棄して攻撃を始めたのです。
そして8月15日の陛下の玉音放送を迎えます。「日本が負けたのか、神の国が……」と両親はじめ大人たちは涙を流し、私たち子供も内臓をえぐられるような思いだった。
22日には、ついにソ連が侵攻してきて、学校や病院はすべて閉鎖され、ソ連軍の略奪や婦女子への陵辱が始まりました。女性はみな坊主頭にし、なるべく家にいるようにしていたのですが、あるとき1人の女子が捕まり、連れていかれました。私たちはソ連の憲兵を呼んで駆けつけましたが、すでに……。その光景と悔しさは今も忘れません。
私は’47年の帰国後、ソ連の名作といわれる『シベリア物語』を見ましたが、ものの5分で映画館を出てきてしまった。大作曲家や文豪の作品だろうが、あのソ連兵がいかに多くの日本人を殺し、暴虐の限りを尽くしてきたかを思い出すと、とても素直に楽しむ気持ちになどなれない。
では、中国や朝鮮に対して、日本がしてきたことはどうだったのか。中国や韓国の方も、戦争中の日本軍の行為を思い起こせば、私と同じく怒りがよみがえるのではないでしょうか。’95年の村山談話では《植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました》と痛切な反省と心からのお詫びを表明しましたが、この8月、戦争を知らない安倍総理が、謝罪の意を継承するのか疑問です。
日本の宝である憲法9条を解釈改憲し、“戦争を武力で抑止する”のではなく、“反省や謝罪の意を表明し、国民が共有する”ことこそが、アジア諸国の信頼を得られる唯一の方法ではないでしょうか。