(写真:東京の母と慕うおでん屋さんのママと。) 画像を見る

優しいお母さん役からコミカルな役柄まで、幅広い演技で舞台、ドラマ、映画に活躍中の渡辺えり(63)。23歳のとき旗揚げした劇団「3〇〇」が今年40年を迎えて絶好調のえりさんに、かつてアルバイトとして働き、45年通い続けているというおでん屋さんのカウンターで、演劇人生を振り返ってもらった。

 

「2歳のとき、こたつの上で『荒城の月』を歌うと周りの大人たちから『えりちゃん上手ね』って煽てられて、歌手になろうと思いました。でも、バレリーナにも憧れましたね。森下洋子さんみたいなプリマに。でも、私の生まれたところはバレエ教室までバスで40分。車酔いが酷くて諦めました。その後、オペラ歌手に憧れて高校の声楽クラブに入って……と、やりたいことがたくさんあったんです。それを全部叶えられるのが演劇でした」

 

その後さまざまな経験を経て、劇団を旗揚げするという夢を抱くようになる。

 

「あこがれのジュリー(沢田研二)と結婚、貧富の差をなくして社会改革、という2つの野望を胸に、18歳で山形から上京しました。トイレは共同で家賃9,500円の池袋のアパートに住みながら、舞台芸術学院で演劇を学びました。ここでのバイトは当時、平均時給が400円のところ600円もらっていました。家にテレビがなかったので、ジュリーのドラマや『紅白歌合戦』はママのマンションに行って見せてもらって、日曜日にはカレーライスと餃子を食べさせてもらい、洋服もいただいたりね。ママは私にとって東京の母。山形の実の母とも仲よくしてもらっています」

 

23歳のとき、念願の劇団「2○○」を旗揚げ。数々の名作を生みだしてきた。同時に、お酒の場での豪快なエピソードを重ねていくことに。

 

「演劇をやってると、先輩の誘いは断れないし、お酒は飲まざるをえないんですよね。演出助手をやってたころは、舞台監督と朝の4時まで飲みに行ってました。映画を撮っているとき、カメラマンがお酒大好きな人だったんです。そのカメラマンと朝の8時まで飲みに行って、先にカメラマンが潰れて私は平気だった。それで信用を得ることができて、仕事もスムーズにできました。いま、あの時の量を飲んだら……、3日は調子が悪くなっちゃうでしょうね(笑)」

 

当時、女性の劇作家はまだまだ少数。女性が演劇界で活躍することも多くはなかった。そんななか、えりさんは’83年、舞台『ゲゲゲのげ』で第27回岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。同年、朝ドラ『おしん』にも出演し、戯曲家、演出家、女優として大きく羽ばたき始めた。

 

最新の舞台『肉の海』(6月7~17日、下北沢・本多劇場)では土居裕子、久世星佳と3姉妹の役を演じる。節目の舞台でも、伸びのある歌声を響かせる!

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