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子育てなどもとっくに終わり、代わり映えしない日常で……なんてもったいない! いまだからこそ、あなた自身の人生を取り戻すべき。「人生100時代」を楽しみ尽くすための、「学び直し」という選択。彼女たちの一念発起を見習って、豊かな後半生を楽しもう!

 

「26歳のときに母を卵巣がんで、28歳のときに父を胃がんで亡くし、筋委縮症の妹と祖父母を抱え、突然一家の大黒柱になってしまいました。そのころは働いても働いてもお金が足りなくて、通訳として一日中働いていましたね」

 

そう話す石井苗子さん(64)。34歳のときに『CBSドキュメント』のキャスターに抜擢されてデビュー。ビートたけしに見いだされて『TVタックル』のキャスターになったころから、ようやく生活が安定するようになったという。そんな彼女が聖路加看護大学に入学したのは、43歳のとき。

 

「筋委縮症が悪化していた妹を自宅でみるため、仕事をしながら通える看護学校を探しました。そんな折、日野原重明先生から、聖路加看護大学が社会人枠の募集を開始することを聞いたのです」

 

受験に合格はしたが、1年目は仕事と学業の両立が難しく、2年間休学をした後、復学することに。

 

「授業は月〜金の毎日8時半〜18時半でみっちり。睡眠時間を削って、なんとか学業にはついていっていたものの、体は40代。5階建ての校舎の移動は階段のみで、18歳の同級生たちがみんな階段を駆け上がっていく中、私一人、踊り場でヘタれていました」

 

体力作りのため、剣道を始めようと、学校近くにある築地警察署の道場の門をたたいた。

 

「初日からボッコボコにされました。すっかり鼻をへし折られて、小さくなって『やめさせてください』と申し出たら、『警察署の道場なので、安易にやめることは許されない』と言われて……」

 

以来15年間続け、いまではなんと、三段の腕前だ。

 

看護大学卒業後は、教授の勧めで東京大学大学院を受験することに。「将来、高齢者と障害者は同じサービスが必要になっていく」という持論を展開し、合格した。

 

「入学したものの、大学院の講義を聞いているうちに『やっぱりついていけない!』と教授に弱音を吐きました。そうしたら、『せっかく受かったのに、そういう態度は許せん』と怒られたのです。剣道のときと同じ展開です(笑)」

 

年の離れた同級生たちと支え合いながら、2年間の研究を終えることができた。そして、再び教授の勧めで博士課程に進むことに。

 

「自分でもまさかの展開でした。私はへこたれていても、いつも教授や同級生に支えられたおかげで、学ぶことを続けられたんですね」

 

睡眠時間を削りながら勉強する生活が続いたが、家族が協力的だったことにも助けられた。

 

「夫は、私が大学に進学することに賛成してくれていましたし、家事など、やれることはしてくれました。受験生だった子どもたちも『母親が学生だから勉強をサボれない』って、ぼやきながら、一緒に勉強していましたよ(笑)」

 

学び直しのきっかけだった妹さんは8年前に他界した。

 

「救いは、私が看護の勉強を始めてから、妹の表情が明るくなったこと。彼女の気持ちを少しは理解できるようになっていたのかな」

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