「平成って、慣れないうちに終わっちゃうって感じね」。そう語る黒柳徹子(84)が、平成元年に始めた舞台「海外コメディ・シリーズ」が、今秋上演の32作目『ライオンのあとで』(東京・EXシアター六本木にて、9月29日~)でファイナル。“女優”としてのお話を伺った――。
30年前の「海外コメディ・シリーズ」の初回は、“お姉ちゃん”って呼んでいた山岡久乃さんとご一緒でした。とてもうれしかったのと同時に、怖かった。山岡さんってね、厳しいの。芝居のなかで、山岡さんが私に手紙を渡してくれてそれを私が声を出して読むシーンがあったの。私が山岡さんに“書いてあるの渡してね”と言ったら山岡さんは、“手紙くらい覚えなさい。昔は手紙でも覚えたんです”って。意地悪された人が昔いたらしい、と思いました。
でもね、優しい人でした。山岡さんと私が主役で、ほかにセリフのない俳優の方たちも出てくるじゃない。彼らに毎日、おでんを煮たり、シューマイをつくったり。“みんな収入がなくて一食だって食べるのが大変なんだから”って。
私なんかNHK出身でそのままきてしまったから、一食食べるのが大変ってそんなに思わなかったの。だからますます、お姉ちゃんはえらいなぁって、尊敬しました。
山岡さんと池内淳子さんと3人で同じ老人ホームに入るって約束もしていたんですけどね。それなのに亡くなってしまって。あのときは本当に悲しかった。
■30年の舞台作品から、お気に入りを選ぶなら
30年でたくさんの作品に出られて、本当によかった。これだけの芝居、なかなかできないですから。どれも好きですけど、今度の最後の公演に決まった『ライオンのあとで』は好きなんです。
サラ・ベルナールというフランスの女優さんの生涯を描いているんですが、この人がすごく変わっていて面白い。片方の脚を切断しても、舞台に立って『ハムレット』を演じたりするんです。そういう変わっている人をやるのはいいなぁと思います。
私は喜劇をやるのが好きです。日常的に悲劇的なことが多いのに、これ以上悲劇をやってどうする、という感じがして。悲劇をやってみても案外うまいんじゃないかと思うんですけどね。ふふふ。でもやっぱり、喜劇のほうが、合っているんじゃないかと思います。
パルコ・プロデュースでの舞台は一区切りになりますが、私自身は芝居を終わらせるつもりはありません。100歳までやる気でいますよ。