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昭和、平成、そして令和。時代を超えて、常に日本を代表する俳優として活躍してきた松本白鸚さん(77)。そんな彼を50年にわたり支えてきたのが、妻・紀子さん(74)だった。金婚式を控えて明かす夫婦の軌跡ーー。

 

「令和の御代に改まりまして、若き天皇陛下が新しい象徴として、私どもに寄り添ってくださることを、国民の一人として大変うれしく、また誇らしく思っております」

 

11月9日に行われた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で、祝辞を述べた松本白鸚さん。昨年1月、息子の松本幸四郎(46)、孫の市川染五郎(14)とともに、37年ぶりの三代襲名を行ったことに触れるとこう続けた。

 

「37年前、父(先代白鸚)は襲名の“名”は“命”だと申しました。伝統に命を吹き込むのは、まさに令和に生きる私どものつとめだと思っております」

 

平成から令和に御代替わりする記念すべき年である2019年。歌舞伎役者・松本白鸚にとってもまた記念すべき年になった。

 

今年8月に喜寿を迎え、主演・演出を務めるドン・キホーテを主人公にしたミュージカル『ラ・マンチャの男』は日本初演から50年、10月には1,300回公演という偉業も達成した。先月には、白鸚を襲名してから初となる著書『句と絵で綴る 余白の時間』(春陽堂書店)も出版。

 

「そして、今年の12月には金婚式も迎えます。家内が支えてくれたからこそ、無我夢中でここまでやってこられたのでしょう」

 

インタビュー場所となった都内の自宅でそう言って笑う白鸚さん。その傍らで、妻の紀子さんが恥ずかしそうに微笑んだ。

 

■新婚旅行はニューヨークでの武者修行

 

いまやミュージカル俳優としての白鸚さんの代名詞ともなった『ラ・マンチャの男』の初舞台を踏んだのは、50年前の’69年4月。

 

「父が歌舞伎を指導するために渡米したときに、たまたまオリジナル版を観劇したんです。感動した父が『染五郎(当時の白鸚さん)にやらせたい』と、日本での公演が始まりました」

 

舞台は好評を博し、歌舞伎役者としてだけではなく、ミュージカル俳優としての名声を得ることになった。紀子さんと結婚したのは、そんな年の12月だ。

 

「家内は九州の福岡の内科医院の一人娘です。結婚したときは舞台『春の雪』の公演中。披露宴も結婚式の日も舞台に立ちました」

 

紀子さんは、女優の香川京子さんの親戚で、幼少のころから日本舞踊を習っていた。慶應義塾大学進学のために上京した紀子さんは、日舞の稽古を通して白鸚さんの妹と仲よくなり、家族ぐるみで付き合ううちに、白鸚さんとの結婚に至る。紀子さんがこう振り返る。

 

「嫁いだ日に、主人の母から『歌舞伎役者の夫婦は共稼ぎよ』と言われました。でも、そのときはまだ、その言葉の意味には、気づいていませんでしたね」

 

だが、すぐに義母の言葉の重みに気づかされることになる。

 

「じつは翌年3月から、白鸚さんは10週にわたってニューヨークブロードウェーで、『ラ・マンチャの男』の主演を務めることが決まっていた。日本人初のブロードウエー単独主演、もちろんセリフはすべて英語だ。1月には現地に入り、稽古に励むことになる。

 

これに紀子さんも同行、2人の実質的な“新婚旅行”になった。

 

「武者修行新婚旅行ですね(笑)。4カ月、2人だけ。助けてくれる人もいない。家内は風邪をひいて倒れてしまうし……」

 

白鸚さんが妻のほうを見ると、紀子さんが申し訳なさそうに続ける。

 

「ニューヨークはいちばん寒いときで、高熱を出してしまって。でも、(無保険なので)向こうで医者にかかるというのは、なかなかできなくて。持っていった薬と、オレンジジュースをたくさん飲んで治しました。主人は毎日稽古に通っていたし、本当に迷惑をかけたと思います」

 

厳しい稽古を経て本番を迎えた。

 

「でも、連日続く、慣れない英語の舞台に、精根尽き果てて、ついに僕も高熱を出してしまって。体の節々が痛みました」

 

苦難の人生を歩んだ主人公セルバンテス。白鸚さんは自分の苦痛を彼の人生に重ね合わせた。

 

ーーこれはセルバンテスの痛みだ。人生の苦しみだ。

 

「最低の出来だった」。白鸚さんがそう沈んでいると、紀子さんはこう断言した。

 

「最高だった。今まででいちばんの舞台だったわ」

 

観客の目には白鸚さんとセルバンテスが一体になって映っていた。

 

「この米国公演では、いわゆる“梨園の御曹司”ではなく、27歳の日本人役者として、勝負は芸だけという無名の潔さを味わいました」

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