「開始当時は、午前10時半から放送だった。だから、平日その時間に働いている若い人じゃなくて、たまたま年寄りが来ちゃった。それで50年も続けていたら、いつしか“年寄りのアイドル”とか言われるようになったんだよ」
そう語るのは、“まむちゃん”“まむしさん”の愛称で親しまれる、俳優の毒蝮三太夫さん(83)。自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(毎週金曜日『たまむすび』内・午後2時〜TBSラジオ)は、今年10月で50周年を迎えた。
同番組は公開生中継。まむしさんは毎週、商店や工場などさまざまな場所に出向く。番組の名物といえば、まむしさんの“毒舌”を交えたお年寄りとのふれ合い。“ババア、生きてるか?”と歯に衣着せぬまむしさんに、お年寄りは大爆笑なのだ。
「『おいババア、汚ねぇな。くたばりぞこない』とか面と向かって言うもんだから、TBSには毎度のようにクレームが届いているみたい。中継現場はどんな人が集まったっていいから、おれにそんなこと言われて怒った人が、いきなり刺しにきてもおかしくないよな。スタッフはヒヤヒヤしているよ(笑)」
インタビュー当日も、「ミュージックプレゼント」放送日。まむしさんは、埼玉県草加市で創業90年の歴史を持つファッション雑貨店「フジヤ」を訪れた。
まむしさんが下駄を「カラン、コロン」と鳴らして入店するなり、「フジヤ」に集まったお年寄りや子どもたち、そして中継を見にきた草加市の住人たちからは「ワァ〜! まむちゃん!」と大歓声が。
「お、草加のオバケ屋敷みたいな顔のババアだなぁ」と言いたい放題のまむしさんに、大勢が手をたたいて笑っていた。
まむしさんは、自身が約40年続けているという“下駄”へのこだわりについてこう語る。
「下駄職人のもとを放送でたずねたときに下駄をもらって、履き始めたの。そしたら後日、「まむしさんの下駄の音がラジオから聞こえると、元気が出るんだよ」と言ってくれる職人が増えてさ。ずいぶんと下駄職人の数も減ったけど、浅草の『花川戸靴・はきもの問屋街』の伝統を支え続けようとする彼らの励みになればと思って」
しかし10年ほど前、ラジオの中継前に階段を踏み外し、左足の指を3本骨折。中継はそのまま続けたものの、「下駄骨折」と呼ばれる大けがを経験した。
「そのことを談志(立川談志さん・享年75)にも話したの。そしたら、談志が『5本中3本て、猛打賞じゃねぇか』って(笑)。これを談志の葬儀で、弟子たちの前で話したら大ウケでさ。だから、談志を忘れないという意味でも、下駄は履き続けようと思う」
立川談志さんといえば、まむしさんが『ウルトラマン』(’66年)に出演し、人気俳優として知られていた当時、彼を演芸の世界に引き入れた張本人。学生時代からお互いを知る旧知の仲だ。
「談志と出会っていなければ、『ミュージックプレゼント』をはじめることもなかった」とまむしさんは繰り返す。それほど、談志さんには“恩”を感じているのだ。
’69年からはじまった「ミュージックプレゼント」では、談志さんが見抜いたまむしさんの“トークの才能”が爆発。放送回数は1万3,000を超え、これまで出会ったお年寄りは数十万人といわれている。
「当時は日露戦争で乃木希典将軍を見送ったという人とか、かつての大横綱・双葉山の膝の上に座ったと話す年寄りもいたよ。『明日、乳がんの手術だからまむしさん胸をなでてあげて』と頼んでくる人もいたな。それでなでてあげたら、その2カ月後に『よくなったわよ』って言われてさ。おれのことを“パワースポット”と呼ぶ人もいるんだよ(笑)」
(取材:インタビューマン山下)