生まれたばかりの娘・也哉子を抱える内田裕也さん。 画像を見る

今年も多くの偉大なスターが、たくさんの思い出をわれわれに残してこの世を去った。そんな故人と親交が深かった方々から届いた、愛あふれるラストメッセージを紹介。題して、「大好きなあなたへ 最後のラブレター」ーー在りし日の姿に、心からの哀悼の意を表して。

 

■内田裕也さん(享年79・ロック歌手、俳優・3月17日没)へ。島田陽子(66・女優)

 

出会いは’88年の私の主演映画『花園の迷宮』での共演でした。映画にはオールヌードのシーンがあり、撮影が遅れてしまうほど監督との話し合いが続きました。そんなある日、宿泊先のホテルのドアに内田さんからのメモがはさんでありました。

 

《今、大変悩んでいらっしゃると思います。自分の意見をひと言言わせてください。裸になることで、あなたの品位は1ミリたりとも傷つきません》

 

世間の内田さんのイメージとは真逆な、繊細で思いやりにあふれた文章でした。ようやく心を決め、私がスタジオに向かうと、雨の中、内田さんは傘もささずに私が来るのをじっと待っていてくれました。

 

内田さんは他人の目があるとロックンローラーを演じてしまいます。人からどう思われているか常に評価を気にして、日常を忘れにハワイに行っても、毎日、日本の新聞と週刊誌を買い込んでチェックしているような人でした。

 

酔うと手を出す、ケンカっぱやい性格だと思われていましたが、それも全部ウソ。一度、うちの父が酔って内田さんに殴りかかったことがありましたが、内田さんは直立不動で殴られるまま。一度も手をあげたりというようなことはありませんでした。

 

私が尊敬していたのはあの人の才能です。金銭感覚はうとい人でしたが、たまに映画の出演料で100万円入ると、アルマーニのコートと一緒にメモが置いてありました。

 

《いつも迷惑ばかりかけてすみません。俺にはこんなことしかできませんが、よろしく》

 

最後に会ったのは、都内のホテルのカフェ。一昨年の8月に、偶然でした。「おー、おー、おー、元気ですか?」と。内田さんはいつも敬語なんです。それからすごく夜遅い時間に電話がかかってきて、年なんであんまり体調がよくないんだと。

 

私といた8年間が内田さんが輝いていた人生のピークだったようで、「あの時代が懐かしい」と。「そうね、楽しかったわね」と私が言うと、「あの時期は自分は幸せでした」と。それが最後の言葉になりました。

 

「女性自身」2019年12月24日号 掲載

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