1966年5月から、毎週放送されている『笑点』(日本テレビ系)。世界で最も長い歴史を持つ演芸番組としてギネスにも載る長寿番組。そのなかにあって山田たかおくん(63)、じつは2番目の古株なのだ。長い期間、苦楽を共にした師匠たちとは、家族同然の付き合いで、個性あふれる噺家との思い出は数かぎりない。なかでも、とくに彼のことをかわいがっていたのが、司会を務めていた五代目三遊亭圓楽だという。
「一見、穏やかそうに見える圓楽師匠ですが、弟子たちにはとても厳しい方で。それはいいんですが、僕を引き合いに出すんですよ。弟子たちに説教をするときに、『おい、山田くんはな、今度あのスピルバーグの映画に出るんだよ』と僕のことを持ち上げたと思ったら、机をバーンと思いっきりたたくんだそうです。そして『お前たちはなんで出られないんだ!』って怒鳴る(笑)」
36年の座布団運び歴のなかで、山田くんは1カ月間だけお休みしたことがあるという。
「若い新人プロデューサーが『若手大喜利でいちばんよかった噺家に、次回の大喜利で座布団運びをやらせる』って、師匠たちにきちんと話も通さずにやっちゃったんだよね。一種の下克上だよね」
ところが……、名人ばかりずらりと並んでいるのが大喜利。彼らに対峙する座布団運びに抜擢された若手噺家は、雲の上のような存在を前にオロオロするばかりだ。これに、まず怒ったのが司会の五代目圓楽だった。
「山田くんじゃないとダメだ!」
プロデューサーにこう、雷を落とした。桂歌丸に至っては、
「山田くんを戻さないなら、もう『笑点』は他局でやることにする」
2006年、体調悪化を理由に五代目圓楽が司会を降板。師匠は、最後の収録の際、山田くんにこう言い残した。