「あとは山田くん、頼りにしているよ」
じつは『笑点』、司会が変わるごとに、座布団運びも交代するのが慣例だった。山田くんも、ここで卒業と覚悟を決めていたのだが、
「圓楽師匠の後を継いだ歌丸師匠がこうおっしゃったんですね。『もうこのメンバーで50周年までやろうよ』って。僕にも『また一緒に座布団、運んでくれる?』って言ってくださって」
五代目圓楽、それに歌丸も、大喜利メンバーを1つの家族と考えていた。だから、林家こん平が病気で休養した際、2人は「代わりに変な芸人入れるぐらいなら、山田くんを大喜利メンバーに」と提案したほどだ。そして2016年春、歌丸は自身の言葉どおり放送開始50周年を見届けて勇退。2年後の2018年7月に、帰らぬ人になった。
「最後に見舞いに行ったとき、もう意識もなかったはずなんだけど。歌丸師匠の耳元で『ありがとうございました』って声をかけたら、師匠、目を開けてくれてね。そして、僕の顔を見て『山田くん、ありがとう、山田くん、ありがとう』って力を振り絞るようにして2回、言ってくれた。それが師匠と交わした最後の言葉です」
病室をあとにするとき、山田くんは歌丸の愛妻、冨士子夫人に、そのことを伝えた。
「そしたら女将さんがね、『当たり前よ、山田くんはちっちゃいころからずっと一緒にいたんだから』って。涙、流しながら言ってくれてね。その日のことは、この先も一生、忘れないでしょうね」
噺家の師匠たちに可愛がられ続け、今では笑点にとってなくてはならない存在になった山田くん。いくつまで座布団を運ぶのか、と尋ねると、
「『笑点』はね、メンバーは死んで『お疲れさま』ってなるんだよね。だから座布団運びも『笑点』だけに、昇天するまでだね(笑)」
トレードマークの笑顔で、そう答えた。
「女性自身」2020年4月7日号 掲載