「『笑点』の大喜利も、とうとう先日17日の放送からリモート出演になりました。楽屋も、ずっと一緒でワイワイやってたんですが、多くの出演者がおじいちゃんばかりだから(笑)、感染には余計に気をつけなくちゃいけなくて、今は個室に。僕自身、落語会やテレビなどの収録も、のきなみキャンセルです。とはいえ、世界中が耐えているときですからね。僕もステイホームの生活のなかで、自分なりに何かできることはないかと考えたとき、マスクだったんです」
“アベノマスク”も届かない、ドラッグストアなどでも相変わらずの品薄状態など、日本中がコロナ禍でのマスク不足に困窮するなか、落語家の林家たい平(55)が手作りする子ども用マスク、その名も“タイヘーマスクJr.”が、各地に笑顔を巻き起こしている。
そもそものきっかけは、日常の光景にあったという。
「街を歩いていて、大人はマスクをしているのに、子どもがしていないことが多いのに気付いたんです。調べたら、子ども用マスクは絶対数が少ないうえに割高だったり。だったら、自分で作って配ろうと。実は僕、仕立屋の息子なんです。両親が『たじか洋服店』というテーラーをやってました。幼いときからミシンは遊び道具で、端切れをもらっては、見よう見まねで小物を縫ったりしていたんです。親父が生きていたら、母親が元気だったら、きっと、同じことをしただろうなと思って」
もともと武蔵野美術大学のデザイン学科を出ており、落語家のなかでも絵心のあることで知られる。
「うちにも2台のミシンがありましたから、4月頭に、ふだんはイラストなどを描く仕事部屋に持ち込んで、いわば家内制手工業のマスク工場にしたわけです。僕ら落語家は、材料には困りません。正月や独演会などのたびに、落語家同士で交換する手ぬぐいがたくさんありましたから。ゴム紐は、うちの子どもたちが運動会の紅白帽に付けていた残りを使ったりしました」
仕事がなく、おまけに雨の日などは、気付けば、一日中、ミシンに向かっていたこともあった。
「ガタンガタン縫い始めて、まず3日で50枚。てこずったのは、マスクにプリーツを付けるとき。気を付けたのは、落語家の名入りが多かったので、その名前じゃなく、かわいい絵柄が目立つようにしたこと。だって、顔の真ん中におじさんの名前じゃかっこ悪いでしょ!」
9日後、100枚のタイヘーマスクが完成。
「まずは、僕の生まれ故郷の秩父の、子どもたちが集まるたい焼き屋さんで30枚配ってもらいました。その後、自分でも配ろうと思って、公園などを回りましたが、恥ずかしくて配れなかったんです。そんな話を近所のコンビニでしたら、『置いてあげますよ』と言ってくれたり。ここには、今も届け続けています」
タイヘーマスクは、今も時間を見つけては作り続けている。
「今度のマスク作りでは、僕が子どものころに、ミシンで自由に遊ばせてくれた両親に感謝です。つくづく、思っています。テーラーの息子でよかったなぁ、と」
「女性自身」2020年6月2日号 掲載