「入賞し、ロンドン留学の切符を手にしていた古関さんは旅費や諸経費として当時400ポンドの送金をイギリスから受けていました。ロンドンフィルが古関さんの書いた曲をレコーディングしてくれるという契約でしたから。でも1年間の渡英予定が結局金子さんへの思いが募りすぎて断念してしまうんですよ。この時期、日本ビクターがこのロンドンフィルの曲を日本で発売するという話もあったのにです」

 

結局、古関さんは文通を始めた半年後に金子さんと結婚。しかし、イギリスから送られた400ポンドの返済が残っていた。そこで、大作曲家である山田耕筰の推薦で日本コロンビアと契約。職業作曲家としての人生をスタートさせる古関さんだが、最初から順調ではなかったようだ。

 

「古関さんは300円(現在では上場企業の部長クラスの金額)もの契約が決まり、金子さんのお姉さんが暮らしていた東京の家で新婚生活をスタートさせます。やっと仕事を始めた古関さんに安堵した金子さんのお母さんも涙ながらに仏様に報告していたそうです。文通でしか会話してなかった男性がいきなり娘を連れて結婚してしまったわけですから、心配だったのでしょう。

 

しかし、古関さんも契約から4年は鳴かず飛ばずで1曲もヒット曲がないまま。印税前払い契約だったので実質、借金してることになるのですが、そのことを知らなかった古関さんは相当慌てていたようです」

 

山あり谷ありの駆け出し時代を送っていた古関さん。ドラマからもますます目が離せなさそうだ。

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