ギターケースからヴィンテージのアコースティックギターを取り出すと、滑らかな指の動きに合わせて、次々にメロディを紡ぎ出していく。
「息抜きでギターを触っても、いつの間にか真剣に弾き始めて、気がつけば何時間もたっている。こんな性格だから、自粛生活を余儀なくされているのに、集中し過ぎて過労気味なんですよ」
自嘲気味に語るのは、『あんたのバラード』『燃えろいい女』など、今なお歌い継がれる名曲を世に送り出した、世良公則(64)だ。
多くのミュージシャン同様、世良もまた新型コロナウイルスの感染拡大により、予定していたライブを延期、または中止し、収入が途絶えた状態だ。そんな状況でも、コロナ禍による音楽業界への危機的状況を改善するため、Twitterを通じ、政治的な発信を繰り返している。
《緊縮派のドイツに続き英国も付加価値税20%から5%に減税 事の深刻さを感じる 日本政府「消費税10%にする為にどれだけ苦労した事か」と強調し減税は考えられないとする》
《人々の政治への無関心が、長年誰かにとって、都合の良い事になっていないか どうせ自分の1票なんてと思わず、その1票でしか変えられないのが政治だ》
先日は、自民党音楽文化振興議員懇談会で、エンタテインメント業界の現状報告と、世良なりの要望を伝えた。
「あまりにアーティストたちが静かなので、自分が声を上げようと。誹謗中傷もあるけど、遠慮なんてしていられないですよ」
批判のなかでも自らの信じた道を進む。その“ロックな生き方”の原点は、43年間におよぶミュージシャン人生にある。
世良は、55年12月14日、広島県福山市に生まれ、貨物船が行き交う福山港に臨む、のどかな港町で育った。
「高校生になって、バイト代をためてギターを買いました。福山に大きな楽器店はないから、手に入れられたのはヤマハの名に似たマルハというメーカー。でも、すごくうれしくて、いまでも実家にありますよ」
そう語った世良が、世良公則&ツイストとしてデビューしたのは、77年。『あんたのバラード』がデビュー曲だ。78年に『宿無し』、『銃爪』、『性』、79年に『燃えろいい女』など、ヒットを連発。『ザ・ベストテン』(TBS系)でも常連のバンドとなった。
だが当時、ロックミュージシャンには、歌番組を『歌謡曲や演歌と一緒の番組に出たくない』『3分半に編集した曲では伝わらない』と、出演拒否する風潮があった。
「『テレビなんかに出やがって、あんなのロックじゃない』と、先輩ミュージシャンからの反発もありました。とくにロック専門誌や音楽評論家からは総スカン。インタビューでも、いきなり『アイドルになって、気持ちいいでしょ?』なんてやゆされる。こっちも『音楽の話ならするけど、そうじゃないなら帰ってくれ』って追い返す。すると、悪口しか書かれないんですよ」
だが、世良はテレビ出演をやめなかった。
「学生のころ、海外のロックバンドがテレビで取り上げられることはなく、一部のファンが活字と写真で情報を得るしかありませんでした。だから、なかなかロックが認知されない。テレビで世良を見て、ツイストに憧れて、小さな子たちがロックを始める。それで10年後にロックがメジャーになれば、オレたちの勝ちだって気概があったんです」
テレビ出演にはこだわりを持っていたが、テレビ局側にとって、ロックバンドの出演は初めての経験だ。衝突もある。
「間奏でギターのソロが入るのに、ずっとオレのアップを撮っている。だからオレがギターの近くに動いて歌うんだけど、そうすると『事前に決めた立ち位置を無視して、世良が勝手に動き回る』と言われるんです。マイクスタンドを振り回すんで、それが映るようにカメラを引いてくださいと頼んでも『また演出にケチつけている』って(笑)」
こうした反発を受けながらも、ツイストはわずか3年半という活動期間を、全速力で駆け抜けた。
「個々でやりたいこと、それぞれに自信がついたことが理由。そのくらい音楽人生において濃く、大事な時期。誰にもできない、今のオレにもできない3年半でした」
ソロ活動開始後、毎日のようにスタッフと衝突しながらも、脇の下に神経まひを抱えるほどギターを弾きまくり、世良公則だけの音楽を作り出して今がある――。
「女性自身」2020年7月28日・8月4日合併号 掲載