週末の、静まりかえった都内のオフィス街の一角に、少し場違いな浴衣姿の若者が集まり、雑居ビルに吸い込まれていく。この日、若手声優を育成する「スクール・デュオ」の稽古場では、11人の生徒が、机を高座に見立てて、落語を披露していた。途中、言葉に詰まる生徒に、ソファに深く腰かけ、全体を見渡していた女性が助け船を出した。
「セリフが飛んでるよ~。誰か、プロンプ(セリフを教え、役者を助ける)してあげて」
声の主は、同スクール代表で、声優の野村道子さん(82)。というよりも、『サザエさん』のワカメちゃん、『ドラえもん』のしずかちゃん(ともに05年まで)といえば、誰にも通じるはずだ。
実生活では『魔法使いサリー』でパパ、『北斗の拳』でラオウ、『Dr.スランプ アラレちゃん』で則巻千兵衛を演じた、声優の内海賢二さん(13年に75歳で死去)と結婚。
「全盛期、夫婦の出演作品の視聴率をすべて足すと、100%を超えていたかもしれません」
さらに、夫の立ち上げた声優事務所「賢プロダクション」(以下・賢プロ)に参加、そして22年前からスクールの運営に携わってきた。
「途中、仲間の裏切りもあったため、賢プロを強くするには、声優の原石を見つけ、自社でしっかりスターに磨き上げるのが大事だと痛感。だから、スクールの採算は度外視なんです。授業料は、業界でもかなり安いと自負しています」
野村さんは、駆け出しのころの自分の姿に重ね合わせるかのように、彩り豊かな浴衣姿の若いレッスン生を見つめた──。
スポ根アニメが人気だった『ドラえもん』放送開始当時、ほのぼの系は苦戦を強いられた。目標の視聴率15%には遠く及ばず、初回視聴率は0.4%。上層部からは「大丈夫なのか」と心配する声もあったほどだ。
「でも、出演者はスタッフから『視聴率が20%を超えたら、海を渡った“ハ”の付くところに連れていく』って言われていたんです。ハワイ旅行を目標に、前向きでした」
和気あいあいとしたなかでも、収録は独特の緊張感が張り詰めた。
「ペコさん(ドラえもん役・大山のぶ代さん)は、汚ない言葉を使わないなど、セリフの一言、一言に妥協しなかったし、有名な俳優さんがゲスト出演するときも『あなた、ちゃんと台本を読んできているの?』と、座長としての厳しい一面もありました」
スタッフ一丸となり、番組開始1年後には20%を達成。そんななか、夫の内海さんが「賢プロ」を立ち上げた。
「内海さんが社長でしたが、経営には無頓着なので、2カ月後には『みっちゃん、なんとかして』ということに。人手が足らなくて、マネージャーを雇っては『今日から、よろしくね』と、研修もしないで、現場に送り出していました」
結局、仕事の売り込みもできないまま、2~3カ月に1回、マネージャーが入れ替わる始末。これではまずいと、野村さんは声優業を『ドラえもん』と『サザエさん』だけに絞り、事務所経営に注力した。こうして約10年をかけ、会社の基礎を作り、扱うお金も大きくなってきたと思ったら、今度は経理担当者の1千万円の使い込みが発覚。
「ハンコもすべて預けるほど信頼して、親友だと信じていた女性の裏切りに、まさかという思い。裁判は3年近く続きましたが、相手側が自己破産し、お金は戻ってきませんでした。さらに同時期、その女性が中心となった独立騒動もあり、ある日、会社に行くと、マネージャー5人のうち、4人が次々に退職届を持ってきたんです」
誰もいなくなった、がらんとしたオフィスを見て“ここまでか”と弱気になりそうになる野村さんを、家族が支えてくれた。
「そばに内海さんがいたし、大学を卒業した長男が入社。“三ちゃん工場”みたいに、もう一度、家族3人で立ち上がろうって思えたんです」
新型コロナ感染拡大による影響で、新たな収録やイベントが中止になり、賢プロでも収入が半減した。でも、野村さんは前向きで、新たな挑戦も始めている。
「やはり人に見られて、人前で演じて成長するから、発表する場はなくてはなりません。観客を入れた公演も、徐々に規制が緩和されてきたので、年明け、これまで存在しなかった新たなイベントとして、朗読劇とオペラを融合した『蝶々夫人』の公演を企画しているんです。成功すればシリーズ化して、年明けの恒例イベントにしたい。マスク姿で、あちこち駆け回っています」
人生を豊かにしてくれた声優界をもり立てたい一心で、アイデアがあふれ出る。まるで、夢をかなえてくれる四次元ポケットのよう。野村さんの瞳はしずかちゃんのように輝いていた──。
「女性自身」2020年10月13日号 掲載