精巧なうえにモデル仕込みの歩き方で、義足に気づかれない。 画像を見る

暗闇のステージが、音楽のスタートとともに、青と白の照明に彩られた。舞台袖ではモデルの海音(19)が、右足の膝下に装着した銀色に光る義足を見やる。

 

義足の女性が出演する「切断ヴィーナスショー」のトップバッターを任されたけど、気負いはない。直前に「緊張はない?」と聞かれても「全然」と笑顔で即答した。ステージに歩み出ると、久々のスポットライトを浴びて、ランウェイに進んだ。前の晩は“義足、合わへんかったら、どうしよう”って心配だったけど、大丈夫だ。厚底の靴でもしっかり歩ける。

 

コロナ禍で、ランウェイの両サイドにお客さんの姿はない。でも、カメラマンの向こうに、大勢の人が見えた。今、強く思える。

 

“義足も含めて私を見て”と――。

 

海音は幼いころからキッズモデルとして活動し、小学生からアイドルグループに所属。原宿を歩けばスカウトが行列をなすこともあったほど。将来は、芸能の道に進もうと夢を抱いていた。だが、小4から体調の変化が起き、小6で右足の激痛に見舞われ、難病だと判明したときには右足先が壊死し、切断しか選択肢が残されていなかった。

 

「義足を人に知られるのが怖かった。知らない人とすれ違ったときも“義足なんだ”って変な目で見られているって、ビクビクして……。窮屈で苦しかったです」

 

だが、今はコンプレックスを武器に換えることができた。それは、両親の愛、海音の可能性を信じて支援してくれた人、そしてモデルへの強い思いがあったからだ。義肢装具士の臼井二美男さんが振り返る。

 

「切断したばかりの海音ちゃんは、薬の影響もあってむくんでいたけど、4~5年ぶりに会うとすっかり大人っぽく、美人さんになっていて、ファッションセンスも抜群。“この子は、普通じゃない”と感じました。そこで、切断しても義足を個性だと感じ、心を解放できるようにとはじめた“切断ヴィーナス”のプロジェクトに参加してほしいって思ったんです」

 

海音も、モデルの夢を完全に捨てきれなかった。再び、新しい義足を受け取りに、臼井さんに会いに行った。

 

「ちょうど屋上で撮影をしているから、見学してみない?」

 

臼井さんは、偶然を装っていたが、事前に写真集『切断ヴィーナス』のカメラマン・越智貴雄さんに連絡していたのだ。テスト撮影に応じるも、まだまだ義足をオープンにする勇気は湧かなかったと海音は言う。

 

「でも、その直後に越智さんは(海音の暮らす)大阪までやってきて、これまでの作品も見せてくれたんです。義足ってかっこいいなあって思いはじめました」

 

義足であっても、それも含めて海音は海音だ。

 

「やるなら大々的にカミングアウトしたい」 海音は決心する。越智さんは、そんな海音の覚悟を感じたという。

 

「テスト撮影をしたとき、身のこなしはプロのモデルなのに、表情がぎこちなかったんです。それが義足をオープンにすると決意してからは、表情が一変。義足に血が通いだし、モデルとしての天性の才能を感じました」

 

写真集だけにとどまらず、越智さんの「切断ヴィーナスショー」への出演オファーも「やります!」と即答。今年8月、人前で初めて義足姿を披露したのだった。高校時代、ミニスカートをはけなかったため、ショーには、ミニスカートの制服姿にこだわった。

 

この日、使用した“魅せる”ための銀色の義足には、ある思いが込められている。

 

「臼井さんに『海音ちゃんは、まだ未来があるからね。金はゴールだから、その一歩手前の銀色にしたんだよ』と言われて、すごく私らしいって思えました。だからランウェイを歩くと、緊張はまったくなくて、楽しくてしょうがなかった。コロナで家にいることが多くて、まだ思うような活動はできませんが、カラに閉じこもっている人とか、同じ境遇の人たちが勇気を持てるように、どんどん活躍の場を広げていきたいです」

 

色とりどりに照らされた人生というランウェイ。その先にある、金色に輝く未来に向けて、今、さっそうと歩みだす――。

 

「女性自身」2020年11月10日号 掲載

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