とりとめのない話が続きましたから、新年を迎えるにあたってのミニ法話を一つしましょう。皆さんは、室町時代の禅僧の一休禅師をご存じでしょうか。とんちが得意だった子ども時代のことは昔、『一休さん』というアニメになりました。その一休さんが24歳のとき、こんな歌を残しています。
有漏路(うろじ)より
無漏路(むろじ)へ帰る一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け
「漏」とは、煩悩をいいます。「有漏路」は「煩悩の有る、私たちが生きているこの世」の意味。「無漏路」は「死んで煩悩が消え去ったあの世」のことです。現代語に訳せば、こんなふうです。
「人の一生とは、この世からあの世へ行く短い旅の途上にすぎない。その旅の途上で一休みしているのが今の私だ。雨も風も、好きなだけ降りつけよ、吹きつけよ。豪雨も暴風も旅の途上のほんの一休みの間の出来事にすぎず、たいしたことではない」
若くしてこの世の諸行無常を悟った一休さんの、清々しい風貌が目に見えるようです。深夜の寂庵で一人原稿用紙に向かっていると、屋根や雨戸に激しい雨があたる音が聞こえてきたりします。そんなとき私は万年筆を置いて、口ずさみます。
「雨降らば降れ、風吹かば吹け」
そうすると、不思議に気持ちが落ち着くのです。お釈迦さまは「この世は苦の世の中だ」とおっしゃいました。この世に生きているかぎり、私たちには悲しいことやつらいことが、次から次に押し寄せてきます。いちいちそれに惑わされて右往左往していたら、生きていけません。
人間のいちばん大切なことは、優しくあること。優しいというのは、他人が持っている苦しみと悲しみ、怯えと憂いを察して、それを慰めてあげることです。私たちの一生は、長生きしたってたかが100年です。たとえこの世に何が起こっても、皆さんは一休さんのようにドンと腹を据えていてください。心に余裕ができれば人間として優しくなる。
人が慰め合い、いたわり合えば、今のようにどっちを向いてもつらい世の中が、きっと和やかになると、私は信じています。少しは、コロナの年の新春法話らしくなったかしら(笑)。
コロナがおさまったら、また寂庵でお会いしましょう。コロナの一日も早い収束と、皆さんの健康と幸せを私はここで切に祈っています。(談)