【’00年代】椎名林檎に宇多田ヒカル……人気アーティストが新しい作り手に
『りんごのうた』初回放送2003年10月〜11月
椎名林檎による楽曲で、ルンバを感じさせるレトロな世界が展開。’00年代は“みんなのうたを見て育った世代”が活躍を始めた時期で、この人も!? といった意外な人物も登場する。
『ぼくはくま』初回放送2006年10月〜11月
宇多田ヒカルが、自身が大切にしているクマのぬいぐるみをモチーフに制作した楽曲。素朴でほのぼのとした曲調と映像のクマの愛らしさもあって、癒されるヒット曲となった。
『野に咲く花のように』初回放送2007年2月〜3月
この楽曲はGACKTがDJとしてラジオ番組を担当していたときに、阪神・淡路大震災で被災した高校生からきたメールがきっかけで作られた。誕生の秘話を知ると感慨深さが増す一曲。
『おしりかじり虫』初回放送2007年6月〜7月
おしりかじり虫は2頭身で、底抜けに明るく世話好きな妖精というキャラクター設定。放送が開始されると口ずさみやすいフレーズもあってか、幼い子どもたちを中心に大ヒットになった。
■『みんなのうた』Q&A
【Q】60年で反響の大きかった3曲は?
『山口さんちのツトム君』(’76年)のうたは本家が川橋啓史さんですが、水森亜土さんや斉藤こず恵さんなどさまざまな方にカバーされ、累計150万枚の大ヒットを記録。
また、『WAになっておどろう〜イレ アイエ〜』(’97年)は、長野五輪マスコットキャラクターのテーマソングに採用されたことで有名ですが、NHKから提案したのではなく、視聴者のみなさんの推す声が、まさに輪になって、最終的に閉会式で『みんなのうた』オリジナルグループAGHARTA生出演が実現したんです。
『おしりかじり虫』(’07年)も爆発的ヒット。楽曲・キャラクターが人気になり、その後シリーズのアニメ番組になったのは番組初のことですね。(皆野歌夫氏・以下同)
【Q】人気アーティストの楽曲は番組側からオファーするの?
基本的には番組側からお願いしていますが、子どものころに『みんなのうた』を聴いて育った方々が楽曲制作に興味を持ってくださり、アーティストさん側からやってみたいとオファーをいただくことが’00年代以降は増えましたね。椎名林檎さんや宇多田ヒカルさんもそのケースです。
【Q】楽曲に合わせたアニメーションは、どのようにして作られていくの?
まず最初に楽曲を作り、そのあとにアニメーションや映像を作っていく流れです。番組プロデューサーが、コンセプトを固め、作家さんを選びます。楽曲と映像がシンクロしすぎてもイメージが広がらないので、「どう意外性を出そう?」と作家さんと議論、ブラッシュアップしていくことも『みんなのうた』制作の醍醐味です。
「女性自身」2021年4月13日号 掲載