76年10月に放送が開始された『欽どこ』 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代におなかを抱えて笑ったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「スマホでイモ欽トリオさんの『ハイスクールララバイ』(’81年)をかけながら、エアドラムをたたいているようなイントロの振りつけをマネすると、5歳になる娘がすごく喜んで(笑)。で、『また、あれやって』ってせがむんです。私が’80年代にハマったものに、令和の子どももハマるんだって驚きます。それだけキャッチーで、ワクワクさせるものがあるんでしょうね」

 

こう語るのは、タレントのはしのえみさん(47)。幼いころから、とにかくテレビが好きで、歌番組、バラエティ番組を見ては“あの中に私も入っていきたい!”と夢見ていたという。

 

「ふだん学校では目立つことのない、ごく普通の女の子。でも、人前に立ちたい思いは強くて。母が日舞を教えていたんですが、発表会があると聞くと、いつもはやらないお稽古を急にしだすような子でした」

 

アイドル全盛時代をけん引した松田聖子や小泉今日子を歌番組で見ては、自分もなりきった。

 

はしのえみ 欽ちゃんとの出会いは「夢中になった80年代のTV」
画像を見る 「欽ちゃん番組」にワクワクしていたというはしのえみさん

 

「地元・鹿児島のテレビ局で生放送していたちびっこ歌合戦に出場したときは、松田聖子さんの『Rock’n Rouge』(’84年)を歌いました」

 

’84年に公開された映画『生徒諸君!』は、母親と一緒に劇場に見に行ったという。

 

「キョンキョンのショートヘアがかわいくて、私もマネしたんです。でも、もともとクセっ毛なのに短くしたものだから、チリチリに。キョンキョンとは大違いで、男子からはだいぶイジられました」

 

バラエティ番組も好きで、とくに『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(’81〜’83年・フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの(欽どこ)』(’76〜’86年・テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊(欽)曜日』(’82〜85年・TBS系)は欠かさず見ていた。

 

「『欽どこ』で、ズラリと並んだ食事を、ゲストのタレントさんが何から順番に手を付けていくか、当てるコーナーがあったのですが、私も真剣になって予想していました。『週刊(欽)曜日』の欽ちゃんバンドも大好きでしたね。音楽は歌番組のときにテレビの前にカセットデッキを置いて録音するか、貸しレコード屋さんで借りて聴くことがほとんどだったんですが、欽ちゃんの番組が生み出したイモ欽トリオさんの曲や、わらべさんの『めだかの兄妹』(’82年)『もしも明日が…。』(’83年)は自分でレコードを買って、歌も振付もマネしていました」

 

「女性自身」2021年5月4日号 掲載

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