インタビュー当日のコーディネートも、80年代ファッションをモチーフにしてきてくれたLiLiCoさん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にあこがれたアーティストの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「私はハーフ(スウェーデンの父と、日本人の母)で、チビで、ブスで。しかもメークやファッションも独特で、クラスでは浮いた存在。スウェーデンでの小、中学校ではいじめられていて、学校は楽しくないところでした。そんな80’sでしたが、音楽やファッション、あこがれのアーティストが別世界に連れていってくれたから、私の脳内は幸せだったんです」

 

こう語るのは、タレントで映画コメンテーターのLiLiCoさん(50)。18歳まで過ごした母国では、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本の文化が刺激を与えてくれた。

 

「定期的にスルメやのり、梅干しを送ってくれていた日本に住むおばあちゃんが、日本の雑誌やレコードも同包してくれて、そこから吸収していったんです」

 

『およげ!たいやきくん』(’75年)のレコード、ハローキティやキキララといったサンリオのキャラクターが描かれたメモ帳や鉛筆削りなどを手にしたときは、心を躍らせた。

 

LiLiCo いじめられていた子供時代「心の拠り所はカルチャーだった」
画像を見る LiLiCoさんにとってマドンナは「今の私を作った存在」だという

 

「日本語が読めなかったので、誌名すらわかりませんでしたが、アイドル雑誌にはたぶん、時代的に中森明菜さんや河合奈保子さんが取り上げられていたと思います」

 

母親がアイロンをかけながらいつも聴いていた『ルビーの指環』(’81年)も、いまだに覚えているという。

 

「いまでも思い出すレコードは早見優さんの『渚のライオン』(’83年)。『日本人は英語ができない』と聞かされていたから、抜群にうまい早見優さんの英語の発音を聞いたときは“英語ができないって本当なの!?”って思ってしまいました。あとからハワイ育ちと知って、なるほどって納得したんですけど」

 

スウェーデンの雑誌は薄いものが多いが、日本のアイドル雑誌は分厚くて見応えがあった。

 

「きれいに印刷された写真もふんだんにあって、かわいいアイドルが起用されている広告を見るのも大好きでした」

 

ヨーロッパカルチャーで影響を受けたのは、ドイツ出身のサンドラという歌手だ。

 

「2〜3曲しかヒットしなかったんですが、ディスコに詳しい人なら知っているかもしれません。彼女の、シャツにベスト、ロングスカート、その上からダブルベルト、腕には太いバングルで、マニキュアはネオン・カラーという、’80年代ファッションをよくマネしていました。じつは今日も、そのころのファッションをモチーフにしているんですよ!」

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