「80年代のぶりっ子はナチュラル」さとう珠緒が“あざとい系女子”の計算高さを指摘
画像を見る 87年、紅白で『木枯らしに抱かれて』を歌う小泉今日子

 

■土曜の深夜に聴いていたさんまさんのちょっとエッチなラジオ

 

アイドルの歌はテレビの歌番組で知り、雑誌『明星』(集英社)の付録“歌本”で覚えた。

 

「最初にのめり込んだアイドルは柏原芳恵さん。当時、テレビで芳恵ちゃんのモノマネをする人は、お尻をフリフリしていたんですけど、それくらい、ほかのアイドルと違って色っぽく、大人な雰囲気が魅力だったんです。

 

毎週日曜の朝は芳恵ちゃんのラジオ番組を楽しみにしていました。前の日に深夜まで、(明石家)さんまさんのちょっとエッチな番組を、罪悪感を抱きながら楽しんでいたので、寝不足気味でしたけど(笑)」

 

’82年には中森明菜や堀ちえみ、松本伊代らがデビュー。

 

「“花の’82年組”の中では、いまなら剛力彩芽さんのような、ボーイッシュで健康的な早見優さんが好きでした。いかにもレモンの香りがして、爽やかな風が吹いていそうな感じでしたよね」

 

当初は「それでも、まだ横一線だった」というさとうさんの中でのアイドルレースで、めきめきと頭角を現したのが小泉今日子だ。

 

「かわいすぎて、ついマネしたくなるんですよね。タータンチェックの服にベレー帽を合わせていれば、私もそのコーディネートを買ってもらったし、“オンザ眉毛”の髪形にしたら、私もそうする」

 

アイドル路線で突き進んでいたキョンキョンの印象がガラリと変わったのは、20枚目のシングル『木枯しに抱かれて』(’86年)だったという。

 

「アルフィーの高見沢(俊彦)さんが作った名曲。それまで夏の太陽みたいな明るい歌が多かったのが、秋冬のしっとりした大人な感じになって。歌の内容も、あみんの『待つわ』(’82年)ほど重すぎず、ちょうど“いい感じ”で共感できる、せつない片思いなんです」

 

当時は、大好きなテレビの中で活躍するアイドルと、一緒に仕事をすることになるとは、思いもしていなかったと、さとうさん。

 

「“金八先生”の第2シリーズに出演していた伊藤つかささんとは、何度か舞台をご一緒させていただいているんですが、地方公演でホテルに泊まると、支配人みたいな偉い人が『サインをください』と、つかささんの2枚組のLPを持ってきたりするんです。あくまでも私の想像ですが、とにかくつかささんのファンは、出世していて、ちゃんとした人が多い。瞳が澄んでいて、魂が浄化されているような人だから、根強いファンが多いのかもしれませんね」

 

最後に48歳になったいまも「プンプン」ポーズで貫く“ぶりっ子”路線について――。

 

「よく“あざとい”と比較されますが、あちらにはどうしても計算高さを感じます。’80年代の“ぶりっ子”はもっとナチュラルで純粋なんです!」

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