「金と自由は欲しいけど、何もしたくない──」を貫いてきたタレントで漫画家の蛭子能収さん(74)。2020年夏に認知症を公表した後も、その“人生哲学”はまったく変わらない。絵を描くよりもテレビの仕事のほうが楽だしギャラもいいと言い続ける蛭子さんに突如湧いた「絵画展プロジェクト」。果たしてプロジェクトは成功するのだろうか……。(第1回/全10回)
いつも笑顔を絶やさない蛭子さんの表情が固まってしまった──。
それは、『女性自身』で連載中の「蛭子能収の人生相談」を担当する記者の私・山内太が、2021年夏に行った取材の合間の出来事だった。
その日、軽い気持ちで蛭子さんに「デジタル庁のロゴ作成者を推薦で募集するという話があるんです。ちょっと書いてみてもらえませんか?」とお願いをした。
手渡されたスケッチブックを前にした蛭子さんに、
「“デジタル庁のロゴ”からイメージして、ロボットでもパソコンでも何でもいいので」
と、ペンを渡したが、いっこうに描き始めない。
「デジタルっぽいものを、テキトーに描いてくれればいいですよ」
こちらがお願いすればするほど、蛭子さんは戸惑うばかり。
時間だけが過ぎていく。
「ロボットってどういうのやったっけ?」という蛭子さんに、スマホで検索した画像を見せながら、「いいですよ、ささっとで」と。
蛭子さんは、ロボットらしき絵をなんとか描いたが、今度は「デジタル庁」の「デ」の文字が出てこない。「どうやったっけ?」──。
時計を気にする蛭子さんのマネージャー。無表情のままの蛭子さん。
「蛭子さんがテキトーに描けば、どんな絵でも“シュール”や“不条理”の味が出る」と高をくくっていた私。かつて、サイン会での蛭子さんは、サインを希望する人の似顔絵を添えていた。似ているかどうかはともかく、ささっと30秒ほどで書き終え、色紙を手にしたファンを喜ばせていた。
認知症という病が、そんな蛭子さんの才能を奪っていった──。
ところが、2021年秋、人生相談連載の担当編集者・吉田健一がこう口にした。
「やっぱり今こそ“芸術家・蛭子能収”の作品が見たいんです」
青春時代、サブカルチャーの影響を受け、蛭子さんが80~90年代に漫画を描いていた月刊漫画雑誌『ガロ』を愛読していた吉田は、“タレントの蛭子さん”ではなく“漫画家・蛭子能収”を信奉。
「できればプロジェクトとして、絵画展ができるぐらい絵を描いてもらいましょう」とまで、のたまう……。
デジタル庁のロゴを描いてもらったときのことを思い出すと、そのプロジェクトは成就しないことが明らかだった──。(続く)