100歳の夢も語っていた瀬戸内寂聴さんの逝去は多くの人を驚かせた。寂聴さんの身に何が起こったのか。秘書・瀬尾まなほさんによれば、始まりは9月の肺炎による入院だったという。
「何か腹が立つことがあって、『絶対に先生に言おう!』と思ったとき、書斎を整理していて、原稿やゲラに書いてある先生の字を見たとき……、『ああ、もう先生はいないんだな』と、思い出してしまって、無性に悲しくなります。車を運転しているとき、夜中に目が覚めたとき……、『先生に会いたい』と、思わずつぶやき、涙があふれます。
いまも先生が遠くに行ってしまったという実感が湧きません。心をどこか遠くに置いてきたような、体だけ機械的に動いているような、そんな感覚で日々を生きています。
なぜか私は瀬戸内先生が103歳ぐらいまで生きると勝手に信じ込んでいて、先生も『103までは生きそうだね』と、そんなことを言っていました。だから私もこんなに突然お別れがやってくるとは考えていなかったのです」
11月9日に瀬戸内寂聴さん(享年99)が逝去してから10日ほどたったころ、“66歳年下の秘書”として知られる瀬尾まなほさん(33)が本誌の取材に初めて応じてくれた。
寂聴さんの大往生は多くの人々に衝撃を与えたが、いちばん喪失感にさいなまれているのは瀬尾さんだろう。瀬尾さんが大学を卒業してすぐに寂聴さんの秘書となってから10年。2人は、小説家と秘書という言葉だけでは言い表すことができない強い信頼関係を築きあげてきたからだ。
寂聴さんの知人のなかには、「90歳を超えた寂聴さんがあれだけ元気に活動しているのは、若い秘書さんといつも笑いあっているからだ」と、語る者もいた。そんな瀬尾さんが“先生との最後の日々”を初めて語る――。
「99年の生涯で、いろいろなことに挑戦してきた先生ですが、いま振り返ると、最後の最後、ぎりぎりまで作家として生きたのだな、と思います。朝日新聞のエッセイの連載や、『週刊朝日』の横尾忠則さんとの往復書簡の連載も楽しんで書いていました。でも特に、文芸誌の2本の連載について語るときは目が輝いていました。『群像』(講談社)の『その日まで』と『新潮』(新潮社)の『あこがれ』です。99歳でも文芸誌2誌に連載を持っているということは先生にとって誇りだったのでしょう。
“その日まで”とは、文字どおり先生の“最後の日まで”という意味で、1月には単行本が発売されることになっています。そんな先生が楽しみにしていたのは、ご自身の文学全集の刊行でした。20年ほど前に新潮社から『瀬戸内寂聴全集』として20巻が刊行されたのですが、来年からその続きが出ることが決まっていたのです。
実は7月ごろに私が聞き手になって、先生に質問をした内容をまとめた『今を生きるあなたへ』(SBクリエイティブ)が12月中旬ごろに出版される予定です。それに私が共同通信で連載しているエッセイ(※「まなほの寂庵日記」)も『寂聴先生に教わったこと』(講談社)として一冊にまとまることになっています。
『来年は先生も私も忙しくなりますよ! なにせ先生が(5月に)100歳になる年ですから。コロナ禍がおさまっていたら、盛大に100歳のお祝いもしましょうね。新潮社から全集も出ますし、(宣伝も)がんばりましょうね。あっ、私の本もいっしょに宣伝してくださいね(笑)』
そうお願いしたら、先生が『あとがきでも何でも書いてあげるよ!』と、言ってくださったことも、思い出になってしまいました。増補された立派な文学全集が、書店の棚に並んでいる光景を先生には見てもらいたかったです」