「先生も103歳まで生きそう、と…」66歳年下秘書が語った寂聴さん最後の日々
画像を見る 昨年12月、クリスマスのご馳走を前に笑顔の寂聴さん(瀬尾さん提供)

 

■「病院で死ぬのは嫌だ。寂庵で死にたい」

 

9月末に退院した寂聴さん。しかし5日後には再入院することになった。

 

「10月に5日間だけ寂庵に帰ってきたとき、いつもの台所の椅子から庭を眺めながら、『やっぱり病院で死ぬのは嫌だ。寂庵で死にたいね』などと言っていましたが、本人もそれほど真剣に考えていたわけではなかったと思います。

 

確かに先生はこれまで何度も入院していますが、そのたびに不死鳥のように回復し、仕事を続けてきました。ですから再入院でも私たちスタッフは、『今回は、いつごろ退院できるかな』ぐらいに考えていたのです。先生も退院に向けての歩行のリハビリを続けながら、

 

『早く、寂庵に帰りたいねぇ』と、繰り返し話していました。あまり帰りたいと言い続けるものですから、お医者さんも『じゃあ、もう退院しましょうか』と、おっしゃっていたほどです。

 

いまも不思議に鮮明に覚えている会話があります。『マスクの上の、目からおでこがすごくきれいだね』、そう先生が何度も言ってくださったのです。それで私も『先生、マスクで見えないですけれど、口角の上がっている唇もいいんですよ(笑)』、そうお返事しました」

 

退院を希望し続けていた寂聴さんの体調が急激に悪化したのは10月末だった。

 

「急変する前日まではふつうにお話ししていたのです。夜になって私が病院を出るとき、『明日また来ますね』とご挨拶して、先生が『ありがとう』と……。先生と私は2人ともおしゃべりですから、この10年間ですごい数の会話をしてきたと思います。ですが、このやりとりが私と先生の“最後の会話”となってしまいました。

 

翌日からは、しゃべるのもしんどそうで、意思表示も私が話しかけたことに、うなずいたり首を振ったりということになりました。入院中はひまなので、ご友人たちとは病室でスマホでおしゃべりしていたのです。それもできなくなり、『寂聴さんの携帯電話が通じないのですが……』と、心配したご友人たちから、寂庵に問い合わせのお電話がかかってくるようになりました。電話の呼出し音が聞こえなかったのか、私がかけてもそうでした。

 

容体がよくならないため、先生の娘さんも駆けつけてきて、いつも誰かが、ベッドのそばに付き添うようになったのです。11月8日の夕方、先生と私が病室で2人きりになったことがあります。そのときはベッドで横になっている先生にいろいろなご報告をしました。先生がお留守の寂庵で起こったできごと、先生がかわいがってくれた私の息子のその日の様子……」

 

寂聴さんが旅立ったのは、それからおよそ半日後の、11月9日6時3分だった。

 

「連絡があって、いま寂庵に勤めているスタッフ全員が病院に駆けつけ、娘さんとともに看取らせていただきました。苦しまなかったので、まるで眠っているような、いまにも起きてきてくれそうな、本当にいいお顔でした。いま考えても、あの日の夕方に先生と2人だけの時間が持てたことは本当によかったと思います」

 

次ページ >最後まで遺言を書かなかった寂聴さん

【関連画像】

関連カテゴリー: