「先生も103歳まで生きそう、と…」66歳年下秘書が語った寂聴さん最後の日々
画像を見る 寂聴さんの頭を剃る瀬尾さん(瀬尾さん提供)

 

■最後まで遺言を書かなかった寂聴さん

 

寂聴さんが名誉住職を務めていた岩手県・天台寺には記帳のために大勢の人が訪れた。また12月9日(木)13~16時、京都の曼陀羅山 寂庵では「偲ぶ会」が開催される。式典はなく、寂聴さんを慕う人たちが焼香をするための会だという。

 

寂聴さんと瀬尾さんの対談集『命の限り、笑って生きたい』(光文社)のあとがきには、寂聴さんのこんな言葉も掲載されている。

 

《「周りが迷惑するから、早く遺言を書いてください」、会計士の先生と顔を合わせるたびに、そうせっつかれているんですけれど、いざ遺言を書こうとすると次々と事件が起こるから、全然書く暇がない。結局、書けないんじゃないかしら》

 

「法話の会でも遺言についてお話ししていましたが、先生は正式な遺言も覚書も残してくれなかったので、今後のことを決めるのは大変です。密葬は身内だけで寂庵で済ませました。お骨は、お墓を作った天台寺には納めると思いますし、故郷の徳島にも分骨することになると思います。

 

決まっていないのは私自身の今後も同じです。先生が、『まなほには才能があるのだから、(文章を)書いていく覚悟を決めなさい』と、真剣な表情でおっしゃってくださったことを昨日のことのように覚えています。しかし、ものを書いて生きていくことの厳しさは、先生のそばにいたからこそ、身に染みてわかっています。それに私を励まし続けてくれた先生はいなくなってしまいました……。

 

笑わせたい、喜んでもらいたい相手を失って、何もやる気が起きません。私の人生は瀬戸内寂聴という人に出会って大きく変わりました。先生はたくさんのことを教えてくれましたし、私にチャンスをくれました。

 

いっしょに過ごしたこの10年間がどれほど尊く、どれだけ先生が私に与え続けてくれたことかもわかっています。先生がいたからこそ私は前へ進んでこられました。後ろを向くと、そこには必ず先生がいて、『あなたなら大丈夫』と言ってくださったから、何でも挑戦できたのです。最後までそんな先生のおそばにいられたことも感謝しています。

 

……それでもやっぱり、もっと一日でも長く、先生といっしょに過ごしたかったという気持ちを消すことはできません。心をどこか遠くに置いてきてしまったような感覚のまま、それでも私が秘書として業務をこなしているのは、“先生に褒めてほしい”という思いがあるからです。

 

先生の秘書として役目を全うしたいと強く思います。先生の納骨、たくさんの方が集まることになる『お別れ会』、お寺関係のことなど、落ち着くまでは膨大な仕事があると思います。正直、すでにキャパオーバーで、10年間のなかで、いちばんきつい日々です。

 

でも私がそれらをがんばれば、『ああ、まなほはよくがんばったね、よく働いたね、お疲れさま』と、先生があの笑顔でねぎらってくれるのではないかと……。いまはそんな思いが私の支えになっているのです――」

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