■怖いもの知らずだった当時。水着審査で選んだのはビキニ!
’82年には中森明菜や小泉今日子らがデビュー。アイドル全盛期が訪れていた。
「なんせ愛知県の田舎育ちなので、そんな華やかな世界はテレビの中だけ。中学時代の生活の中心は、卓球部の厳しい部活動で、土日にも試合がありました。そこそこの選手だったんですよ(笑)」
中3で引退すると、放課後の時間を持て余すように。だが、まだアルバイトもできない中学生。“何か習い事でもしたいな”と思っているとき、名古屋のタレント養成所の募集記事が目に入った。
そこに合格してしばらくすると、養成所の社長から「これから東京に挨拶回りに行くから、一緒に行こう」と声をかけられたという。
「社長には売り出したいコがいて、たぶん、その引立て役だったと思うのですが、訪問先で『おニャン子クラブがメンバーを募集しているので、チャレンジしてみませんか』とお誘いを受けたんです」
部活に熱中していたので、おニャン子クラブも、出演していた『夕やけニャンニャン』(’85~’87年・フジテレビ系)も、まともに見たことがなかったという。
「それでも番組内でのオーディションコーナーに出演するため、高校進学後、2週間ほど毎日のように東京へ通っていました。ただ歌やダンスのレッスン経験がほとんどなかったから、かなりひどいものだったと思います。水着審査もあってビキニを選んだんですが、いま振り返ると、すごい勇気! 怖いもの知らずだったんでしょうね」