■「一隅を照らす、これ国宝なり」ーー天台寺責任役員・千葉康行さん(77)
「寂聴さん晋山(新しく住職になる者が初めてその寺に入ること、’87年5月)のときには毎日のように、京都から大量の荷物が浄法寺町(現・岩手県二戸市)の役場に届きました。
当時は車で天台寺まで登るのが容易ではなかったので、布団、仕事机、資料の書籍、立派な屛風、台所用品……、子供たちへのお土産の大きな白い象までが役場に山積みになって、職員たちが『まるで花嫁が来るみたいだ』と、目を丸くしてました。
当時の天台寺は、賽銭箱に入っているのは木の葉だけ。電気代が払えなくて止められていたような貧乏寺にあきれた寂聴さんが、1千万円もの大金を役場に寄付してくれたのには、たまげましたね。そのとき寂聴さんが、『見合いで仲人に騙されて、結納ももらわないのに、嫁入り道具と持参金を持ってきたようね』と、笑っておっしゃったのが、いまでも忘れられません」
天台寺の名前を全国に知らしめた青空法話。そのスタートから千葉康行さんは司会を務めた。
「晋山の1カ月後には青空法話の記念すべき第1回がありました。境内に大急ぎで玉砂利を入れ、28軒の檀家が当日の早朝から集まって、そこにゴザを敷き、お客さまを待ちました。
寂聴さんと私たちは『100人か200人来てくれればいいね』と息を呑んで待ち受けていました。そうしたら午前中から続々と善男善女が御山(天台寺の立つ山を地元の人々はそう呼びたたえる)に登ってきて、午後の会と合わせると1千人もの方がいらしてくださったのです。そして秋の例大祭法話には全国から貸切りバスで参拝者が集まりました。人口8千人の町に、なんとその数1万人!
急きょ大型バスの駐車場や休憩所を造ったら、県道と御山の間を流れる安比川に架かる橋が落ちてしまいました。コンクリート製の橋に架け替え、参道の石段を修復して、寂聴さんが京都から持ってきた紫陽花を植えて……、小さな町はもう大騒ぎです。私たち檀家は休むことなく勤労奉仕の日々が続きましたけれど、誰一人として不満はもらしませんでした。
法話の司会をさせていただいておりましたので天台寺での法話は30年近くすべて聴いています。そのなかに《一隅を照らす、これ国宝なり》という天台宗開祖・最澄の教えが何度も出てきました。表舞台ではない、一人ひとりが自分の置かれた地味な場所で自分のできることにベストを尽くす。
そういう人こそ国の宝だ、というような意味です。その言葉は私の生き方を変えたかもしれません。ほかの檀家衆も気持ちは同じです。寂聴さんが奇跡を呼び起こしたかのように立派に修理された天台寺を、私たちは新住職とともに末永くお守りしていこうと、意を新たにしています。
御山のなだらかな斜面に造った墓地に、寂聴さんのお墓もあります。花々が一斉に咲き競って極楽浄土のように美しくなる5月には納骨される予定です。そのときには、その天真爛漫さで寂聴さんの命を100歳近くまで燃やし続けてくれた秘書の瀬尾まなほさんなど、多くのゆかりの方々と再会できるのではと、白雪降る天台寺で関係者一同、首を長くしてお待ちしております」