【前編】西川美和監督が語る日本映画界の問題点「高いチケット代が作り手に1円も還元されない」から続く
今年2月に配信された『東スポweb』のインタビューで「映画では食べてない」と語ったことが、波紋を呼んだ西川美和監督(47)。本誌は西川監督にメールインタビューを敢行。映画監督の具体的な窮状について尋ねると、監督3名のケースを紹介してくれた。すると華やかな世界の陰で、生計を立てることに喘ぐ監督たちの実情を垣間見ることができた。(インタビューは全3回中の2回目)
<近年、商業映画デビューを果たした30代前半の男性監督Aさん>
大学卒業後は長らく、映画館のアルバイトに従事。その合間に自主制作の資金を捻出し、時には薬の治験のアルバイトもしつつ糊口をしのいだ。商業映画の製作が決まったものの、クランクインの2ヵ月前まで弁当の配達員をしていた。現在は映像仕事のみで生活できているが、自主映画時代の借金は完済できていない。
<欧州の映画祭で受賞歴のある男性監督Bさん>
30代前半までは3、4人の友人と共同生活をし、週末に結婚式のビデオ撮影のアルバイトをしていた。数年前には、貯金残高が8円だったこともあった。実績が伴うにつれ教育機関や映画学校での講師業、小説や映画評の執筆などの依頼も入るようになったが、単発仕事なので安定的な収入にはならない。近年は2年に1本のペースで映画を製作しているが、老後の貯蓄はない。
また女性監督の場合、ジェンダーの問題も絡んでいるという。
<子供のいる女性監督Cさん>
商業デビュー作では脚本料や監督料は、編集が終わるまで1円も受け取ることができなかった。そしてデビュー後に第一子を出産すると、パタリと仕事が来なくなった。仕事依頼があっても、子供が小さいことを伝えると『じゃあ、しばらくは無理だね』との返答が。こうして仕事の機会を失うだけでなく、働いている実績がないので保育園に申請することもできない。子供を預けることができないために仕事を引き受けることができない……という負のループに。
その後は、一念発起して地方に移住。自作のための脚本を書きながら、テレワークでIT企業の事務をしたり、中古ブランドショップでのパート勤務(時給850円)をしたり。現地のフリーマガジンで、ライターとして働いた時期もあるという。
家族の協力を得ながら新作を撮影したものの、脚本料や監督料だけでは数年間の生活を賄うほど十分な額が得られなかった。近年、配信作品の脚本の依頼を受け、ようやく人が一人食べていける収入になった。