■「純一郎さんのおかげ」、自宅の木にはたくさんの果実が
《いままで向こうは忙しくて、あまりかまってくれなかったでしょう。それが、結婚したら、私のことをちゃんと見てくれるって約束してくれたの》
これは本誌’72年9月30日号に掲載された松原さんの言葉だ。
歌手・布施明(74)との対談企画で、布施の「結婚って何が楽しいのかな?」という問いかけに対して答えたもの。だがこの“約束”、残念ながらあまり守られなかった。黒木さんは70歳を過ぎても、記者として全国を飛び回っていたからだ。
10年前の’12年当時、黒木さんは本誌だけでも、皇室ニュース、「シリーズ人間」、そして連載「寂聴 青空説法」を担当していた。
特に「青空説法」は瀬戸内寂聴さんが、岩手県・天台寺、京都府・寂庵、徳島県・ナルトサンガと、全国3カ所で法話をしていたころだ。連載の取材だけで月に3回の出張が必要になる。
そのころ90歳だった寂聴さん、毎回現れる71歳の黒木記者の顔を見ると、「黒木さんも、もういい年なのに大変ね!」と、ニッコリほほ笑んだものだ。
法話終了後のコーヒーを飲みながらの雑談タイムには、こんなやりとりが、すっかりお約束になっていた。
「この前も、松原さんがドラマに出ているのを見たわよ。今度は奥さんも連れてきなさいね。(周囲にいる別の記者に向かって)それにしても黒木さんって昔は本当にカッコよかったのよ。体もガッチリしていて色気もあってね」
「……(黒木さん、恐縮しながらうつむく)」
留守にすることも多かったためか、松原さんによれば、自宅にいるときの黒木さんはマメだったという。
「わが家の庭には、柿、みかん、ゆず、かぼすの木があります。柿の木は私が嫁いできたころからありました。かぼすの木は大林宣彦監督(享年82)からいただきました。
秋になると、それぞれの木に実がなるのできれいですよ。コロナ禍のため一昨年も昨年もできませんでしたが、それまでは毎年“収穫祭”を行っていました。
日活時代のお友達を呼んで、柿の実をみんなで落として、みんなでワイワイ食べるのです。かぼすはサンマにかけて食べますし、ゆずはお風呂に入れたり、皮をむいてマーマレードにしたりですね。
たくさん実がなるのは純一郎さんのおかげなのです。みかんの皮、りんごの皮、卵の殻などをとっておいて、木の根元に埋めてくれて……。それで栄養たっぷりなのだと思います。秋の収穫祭は、にぎやかに行います」
実は松原さんは一人でいることが昔から大の苦手なのだという。
「なぜかダメなんですよね。誰か家にいてくれれば大丈夫なのですが、一人だと落ち着かなくて。だから純一郎さんが出張のときは、お友達とか親戚とか、付き人さんとかに泊まってもらうようにしています」
3年ほど前、京都・寂庵で寂聴さんの法話を取材した後、携帯電話をチェックしていた黒木さんがソワソワしている様子を見せたことがある。
「取材中のトラブルにも動じることなく、常に泰然自若としている黒木さんが珍しく慌てているのでちょっと驚きました。
いつも若い私に気を使ってくださっていたのでしょうね。取材が終わると、『仕事をしたら腹が減りましたね。何か食べてから東京に帰りますか』、そんなふうに声をかけてくれるのですが、この日だけは『すみません。申し訳ありませんが、今日はすぐに帰らせてください』と……」(同行していた編集者)
編集者に黒木さんはこう説明したのだ。
「今日、自宅に来てくれるはずだった人が急に来られなくなってしまって。いま、あの人がウチで一人きりになってしまってるんですよ。若いころから一人でいると寂しがる人で……。だからすぐにでも帰ってあげなくちゃ」
コマーシャルの撮影中に、シャワーで寒がる松原さんを心配そうに見つめていた黒木さん。その優しいまなざしは、50年たっても変わることはなかったのだ。
松原さんはこう語る。
「どんな話をしていて、そんな会話になったのでしょうか。実は最近も、純一郎さんはこんなことを言ってくれたのです。
『あなたを一人で残していくのは本当に心配だ。だからきちんと看取って、あなたを送ってから僕もいくよ』と……」