伊藤つかさ語る金八先生の思い出「沖田浩之くんはすごく大人な雰囲気」
画像を見る 波打ち際にたたずむ伊藤さん

 

当時、同じテレビ局では『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)が放送されていた。

 

「生放送のある木曜日は私も『金八先生』のリハを抜け出し、トシちゃんや聖子ちゃんを見に行って、キャーキャー言っていました。逆に、近藤(真彦)さんがドラマの撮影現場をのぞきに来たりして、大騒ぎになったことも(笑)」

 

TBSのある赤坂の街を、共演者と歩いたことも思い出の一つ。

 

「『トップス』でカレーライスを食べたのですが、中学生にとってはものすごく高くて、『水にレモンが入っているから』『ライスに干しぶどうがのせてあるから』と、理由をみんなで考えたりしました」

 

同局のロビーには、沖田浩之さんの親衛隊を中心に、出演者のファンが押し寄せたという。

 

「私はあんまりセリフがなかったのですが、雑誌で取材していただくうちに、徐々に名前を知ってもらえるようになりました」

 

『金八先生』終了後、間もなく『少女人形』(’81年)で歌手デビューも果たした伊藤さん。

 

「高校受験のために芸能活動を休みたかったのですが、事務所から『いや、もうデビューが決まっているから』と言われて……。歌うのは、音楽の授業中ですら苦手だったので、『それなら、ちゃんとレッスンを受けさせてほしい』と言ったのですが、『大丈夫、大丈夫』と、これも聞き入れてもらえず、あっという間に」

 

そんな状態だから“人前で歌うなんて申し訳ない”という気持ちが先に立ってしまった。

 

「『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)への出演も迷って……。どちらの番組も夜の生放送だったので、労働基準法(15歳未満の20時以降の労働を認めない)を理由に、両方ともVTR出演にしてもらったんです」

 

それでも仕事は順調そのもの。憧れだったミュージカルの仕事も舞い込んできた。

 

「初舞台となったのは『ふしぎの国のアリス』。リズム感もないし、体も硬いし、どうしようって思っていたんですが、演出家の竹邑類さんが一から教えてくださって。共演者には、大ベテランの淡谷のり子さんもいらっしゃったんです。怖いイメージを持っていて“絶対に怒られる”と覚悟していたんですが、いつも楽屋で若いときのお話や、『私はスタイルがいいの』と脚を見せてくださったり、すごくかわいいイメージの方でした」

 

恥ずかしがり屋で、人見知りの少女だった伊藤さんが、歌手デビュー、夢のミュージカル出演まで果たす--、その大きなきっかけを与えてくれたのは、やはり『金八先生』だといえるだろう。

 

「第2シリーズの“同級生”たちとは、LINEグループでつながっていて、桜の咲く季節に、卒業生のやっているお店で同窓会をしていたんです。先生(武田鉄矢)や脚本家の小山内美江子先生がいらっしゃったこともあるんですよ。最近では、第8シリーズの出演者まで出席するので、かなりの大所帯。つちやかおりちゃん(第1シリーズ出演)が、息子さん(布川隼汰、第8シリーズ出演)と出席するなんていうケースも。コロナ禍で中止が続いていますが、また同窓生たちと集まりたいですね」

 

【PROFILE】

伊藤つかさ

’67年、東京都生まれ。5歳で劇団に入り、子役として多くのドラマに出演。’80~’81年放送の『3年B組金八先生』第2シリーズでクラスのアイドル的存在を演じ、注目を集める。現在も女優として活躍中。今夏の舞台『帰って来た蛍』(7月23~31日・俳優座劇場)で主演を務める

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