■思い出作りのために出演した『ねるとん紅鯨団』
1年間の浪人生活を経て、晴れて東京の女子大に合格した大坪。憧れの東京生活が待っているはずだったがーー。
「アッシー、メッシーという言葉がはやりだしていて、同級生の中にはボーイフレンドの名前を“ベンツくん”など、車種で呼ぶコもいました。正門の前でバラの花束を抱えて待っていた男性と、高級車に乗り込むコも」
でも、みんながみんな、バブリーな生活を送っていたわけではなく、地味な学生も少なくなかった。
「理系だった私は地味なほう。しかも門限が夜10時という県人会の寮生活。みんな方言で話すから、地元の福岡にいるような感覚でした。ディスコにも1回しか行ったことがないんです」
そんな学生生活でも、華やかな体験はあったという。
「冬休みにはスキー場のロッジで住み込みのアルバイトをしたことも。バイト先でリフト券をもらえるので、空き時間は滑り放題。その当時はやっていたのが『私をスキーに連れてって』でした。すっかり影響されてバイト代で白いウエアを買ったのに、映画のような素敵な出会いはありません(笑)」
映画のヒットにより、『ねるとん紅鯨団』(’87~’94年・フジテレビ系)の舞台がスキー場になったことがあった。
「地味な学生生活だったから、思い出作りのために出演したんです。スキー場に向かうバスの車中は、『本当に彼氏いないの?』などと女性同士がけん制しあうピリピリムード。みんな、かなり本気でした」
番組では、年下のイケメンカメラマンから告白されるも、彼女は「ごめんなさい」。
「帰りのバスで、その男性の人気が高かったことを知って『なんで断ったの?』と責められました。私の大学生生活の中で、もっとも華やかだった一日かな」
その後も『彼女が水着にきがえたら』(’89年)を見て、スキューバダイビングに挑戦。
「これらの映画や『気まぐれコンセプト』がホイチョイの作品だということに気づいたのはこのころでした」
大学を卒業した’90年、フジテレビに入社。
「テレビ局に入ると、研修もそこそこにいろいろな番組につかせてもらえたのはありがたいことでしたが、深夜の収録終わりで着替えだけに帰宅してすぐ取材に出たり、昼夜問わずロケに呼び出されたり……。忙しさはまさに『気まぐれコンセプト』で描かれている世界でした」
くしくも、フジテレビの深夜番組ではホイチョイ・プロダクションズが手がけた『カノッサの屈辱』(’90~’91年)、『TVブックメーカー』(’91~’92年)が、若者を中心に大人気となっていた。
彼女はこれらの番組でプロデューサーを務めた桜井郁子さんに声をかけられ、先鋭的なクリエーターが集った、異色の子ども向け番組『ウゴウゴルーガ』(’92~’94年)に出演。ホイチョイ作品を通じて憧れていた、おしゃれで知的なカルチャーの一端を担うことになる。
「間接的とはいえ、ホイチョイ・プロダクションズの世界に触れることができたのは、大きな経験。その後、自分で企画から番組を立ち上げたときも、何かしらの影響を受けていたはず。人を楽しませることに長けていて、“仕掛けて時代をつくる”ことに巧みなホイチョイを、無意識に追いかけていたんですね」
【PROFILE】
大坪千夏
’66年生まれ、福岡県出身。日本女子大学を卒業後、’90年フジテレビに入社し、バラエティ、スポーツ番組を多く担当する。担当した子ども向け番組『ウゴウゴルーガ』ではタレントの千秋とともにCDも発売。’05年からは海外に生活を移し、現在はマレーシアと日本の2拠点で活動中