ずん・飯尾 不遇の時期乗り越えたどり着いた「素直に甘える」姿勢
画像を見る 「振り返ってみるとたくさんの人に助けられてきました」と語る飯尾和樹

 

■「心の中には“発煙筒”を常備してます(笑)」

 

『いいとも』の影響力もあり、徐々に街中で声をかけられたり、握手を求められることが増えていった。そこから順調に仕事を増やしていったが、40歳を前に、またも苦しい時期に直面していた。

 

「12月の給料日の前日に、財布に50円しかなかったんですよ。でも、やすと僕は危機感がなくて『10円で石油の権利を買う』とか、『それじゃ命を狙われて危ないから不死身の体を10円で』とか、バカなことを言ってたんです」

 

そんなとき、飯尾の同期であるウド鈴木からの電話で、自分たちが置かれている状況に気づく。

 

「ウドと忘年会をやる予定だったんですが、彼は特番の収録があって遅れると。それを聞いて『年末の芸人が忙しい時期に、俺たちは何してんだ!』と、ハッとしました」

 

2人は即座に緊急会議を開催。

 

「『次からは、MCに振られたら、スベってもいいから前に出て答えよう』『何も思いつかなかったら、好きな食べ物でもなんでもさけべばいい』と話して。必死でした」

 

すると、少しずつ状況が好転していく。やすが『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝。飯尾はおなじみの「平日の昼間から、ゴロゴロ〜」の現実逃避ネタで人気を集めた。

 

「同時にそのころ気づいたのは、『苦手なことはできないんだから、誰かに甘えるしかない』ということ。たとえ相手の年齢が下であっても同じです。振り返ってみれば、たくさんの人に助けられてきました。ピンチのときは助けを求めればいい。僕は心の中に発煙筒を10個は常備してますから(笑)」

 

バラエティ番組でのロケでは、とにかく“好きにやる”ことを心がけた。スタジオにいる芸人が何とかしてくれるだろう、と。そして訪れた、長きにわたる再ブレーク。冒頭のように、共演陣の優れたところに、素直に甘えるという彼のモットーが“自然体”のキャラとして、お茶の間に受け入れられているのかもしれない。

 

「今も思ってますよ。『おやじがトム・クルーズだったらなぁ』って。『トップガン マーヴェリック』や、その続編の権利ビジネスで生活できたらなんていいんだろう(笑)」

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