■大黒摩季はウイットに富んだ視点や爽快感が魅力
芸能プロダクションにスカウトされたのは、’93年、中学3年生のとき。修学旅行を控え、友人と髪をカットしに行ったときのできごとだった。
「渋谷・宇田川町の交番前で芸能事務所の人に声をかけられて。アイドルのフリフリとした衣装に憧れはありましたが、歌やお芝居を勉強して芸能人になりたいなんていう強い思いはまったくありませんでした。それでも熱心に誘ってくれたんです。“失敗したら大学を目指せばいい”。まだ中学生だったからいくらでも軌道修正できると思って、飛び込みました」
そんな人生の転機に知ったのが、大黒摩季だった。
「初めて聴いた曲は、アニメ『SLAM DUNK』(’93~’96年・テレビ朝日系)のエンディング『あなただけ見つめてる』(’93年)。それから少し大人になって自分でCDが買えるようになると、リリースに合わせて新譜をチェックしたり、遡って過去の作品を買い求めたり。歌詞の意味がわかるようになり、ますます惹かれていきました。『夏が来る』(’94年)は、白馬に乗った王子様がいつか自分を迎えに来るなんて妄想していても、結局選ばれるのは、すぐに『え~、わかんな~い』とか言いそうな何もできないお嬢様という内容で、深く共感しました。ウイットに富んだ視点や、爽快感も魅力。誰かに依存するよりも、自分一人で強く生きる女性がイメージされる歌詞と力強い歌声が重なって、私の中では大黒摩季=カッコいい女性です。『ら・ら・ら』(’95年)も好きで、コロナ禍では自粛していたカラオケに行きたくなります」
大黒摩季と同じくらい聴き込んでいたのは、槇原敬之だ。
「やっぱり『どんなときも。』(’91年)からかな。言葉のチョイスが絶妙で、『冬がはじまるよ』(’91年)を聴くと、自然に雪の舞う冬の景色が浮かび上がるなど、神奈川生まれの私が知らなかった体験をした気分。それに何といっても、マッキーさんの声は独特で、とにかく癒されます」
一方、『ヤングマガジン』の表紙グラビアから芸能の仕事を始めた中山さんは、『おれはO型・牡羊座』(’94年・日本テレビ系)でドラマデビュー。バラエティ番組の仕事も増えていった。
「どこの仕事現場に行っても新しいことの連続で、目の前の仕事を一つ一つ、なんとか乗り越える毎日でした」
中山さんの新人時代は、’80年代から始まったバブル経済がすでに弾けていたものの、テレビ業界はまだまだ元気で、“とにかく前に進もう”という勢いがあった。
「まわりの勢いについていくことで必死。疲れたときは、まずはマッキーさんの曲に癒され、それから大黒摩季さんの曲でお尻をたたいてもらっていました。毎日必死だった’90年代に聴いていた曲を、今ではBGMとして特別じゃない雰囲気で聴いたりしています。こうした曲たちは、私のDNAにしっかり刻まれていて、おばさんになった今でも、元気づけてくれたり、テンションを上げてくれたりするんです」
【PROFILE】
中山エミリ
’78年、神奈川県生まれ。’94年のドラマデビュー後、’96年には歌手としてもデビュー。バラエティ番組でも活躍し、’00年代には『速報!歌の大辞テン!!』など、多くの人気番組の司会も務めた。’10年にプロライフセーバーの飯沼誠司と結婚、’15年に長女を出産した