■同じ年のディカプリオの演技力に感動
’91年、16歳のときに単身上京。間もなく『桜っ子クラブ』(’91~’94年、テレビ朝日系)のメンバーに選出され、テレビデビューを果たした。
「所属事務所が原宿にあったので、竹下通りにもずいぶん行きました。ただ、スタッフから『クレープは太るからダメです』とくぎを刺されてしまって……。“アイドルは食べちゃいけないんだ”と、ちょっと残念でした」
まだ若くて人生経験も乏しかったが、その分、さまざまなものを吸収できた。
「尾崎豊さんが『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年、フジテレビ系)で、『太陽の破片』(’88年)を、まるでお芝居をするように歌う姿に、すっかり魅了されました。尾崎さんの曲に出合って、表現することにより興味が湧いたんです」
’92年、尾崎さんの追悼番組をきっかけに、さらに多くの楽曲を聴くように。
「『15の夜』(’83年)や『卒業』(’85年)は、あのころの私の気持ちを代弁してくれているかのよう。すごいカリスマ性も感じました。一方で、一緒に仕事をしていた尾崎さんを知る撮影スタッフからは、『ふだんは礼儀正しくて、偉そうなところがなく、楽しくご飯を食べたり飲んだりする普通の青年』と聞いていたので身近に感じる面も。すごく不思議な存在です」
尾崎さんとともに、刺激を与えてくれたのは映画だった。
「上京してから映画館に行くことが増えて、仕事帰りにタイミングが合えば、スタッフさんと『ちょっと行ってみようか』ということも。人と行くと、自分では興味のないジャンルのものも見たりするので、新しい発見があります」
そこで出合ったのがレオナルド・ディカプリオ。最初に見た作品は、映画出演4作目となる『ギルバート・グレイプ』(’94年)だ。
「当時はまだ無名で、たまたま私が好きなジョニー・デップやジュリエット・ルイスが出演していたから見た映画。ところが、作品ではディカプリオの存在感が圧倒的で、まるで主演のよう。知的障害のある少年という難しい役なんですが、かわいい表情をしたかと思うと、ハンサムな顔に豹変したり、カメレオンのようにたくさんの顔と表現を持っているんです。同じ年なのに、この演技力はすごいと感動」
『ロミオ+ジュリエット』(’96年)や『タイタニック』も、もちろん映画館まで足を運んで見たし、レンタルビデオも借りた。そして『ザ・ビーチ』(’00年)にいたっては“聖地巡礼”するほど。
「撮影されたのは、タイの小さな船を乗り継いで行くような島。ディカプリオがいないことはわかっていながら、私も独身だったから“もしかして”という思いも」
作品のたびに、さまざまな表情や演技を見せてくれたディカプリオの存在は、井上さんがその後、女優の仕事を増やしていくにあたり、糧になった。
「美しいだけでなく、不格好な部分もあるから、人間らしさがにじみ出て、キャラクターに命が吹き込まれる。アイドル志望の私にも、お芝居するのってカッコいいなと思わせてくれる存在でした」
【PROFILE】
井上晴美
’74年、熊本県生まれ。’91年にアイドルとしてデビューしたのち、『ナースのお仕事』(’96年、フジテレビ系)や映画『フリーズ・ミー』(’00年)など女優としても活躍。’05年に国際結婚をし、3児の母となる。’11年に熊本県に移住、子育てをしながら女優業もこなしている