■どこかで誰かが喜んでくれるから私は仕事を続けられる。チャレンジは終わらない
「朝6時には子供たちに起こされて、朝食を取りつつ遊び相手もしてたら、もう保育園の時間。その間も、ずっと息子たちはママの取り合いをしてて(笑)。9時半ごろ仕事開始で、作詞や曲のテーマを考えるなどクリエーティブな作業に没頭します。午後はレコーディングなどで人と会ってると、すぐに保育園のお迎え。22時までは家族の時間を過ごして、0時過ぎまでディレクターさんらと電話やメールでやりとりしたり……」
その後も夜泣きの対応で、冒頭のスタジオでの発言のとおり、ここ数年「毎日寝不足」という慌ただしさが続いている。だが、家庭といういつでも戻れる場所を得て、岡嶋さんの音楽の夢はさらに広がっている。
「コロナ禍も落ち着いてきて、今後はヨーロッパでの活動を広げたい。ユーロビジョン・ソング・コンテストってご存じですか。今年からは、そこへ作家としてチャレンジしていきたいと考えています」
アバや最近ではマネスキンなどが優勝者として知られる同コンテストは、アーティストにとっては世界的飛躍の登竜門ともなるだけに、岡嶋さんのさらなる国境を超えた活躍に期待がかかる。
もちろん、その活動を最も近くで見守るのは家族だ。
「ルイは、このスタジオへ連れてきたこともあります。少しずつ私の仕事もわかってきたみたいで、『またママのおしごといきたい』とか、テレビを見て『ママがいる』と喜んだりで、それは素直にうれしいですね」
音楽には、涙を笑顔にする力があることを、誰よりも岡嶋さん自身が知っている。
「私の仕事は、どこかで喜んでいる人がいるから頑張れるんだと思うんです。無人島に一人いたら、きっと私は曲を作っていません」
この2月には、キャンピングカーでの移動型子育てを再開するプランもあると、インタビューの最後にもまた、夫婦で顔を見合わせて笑った。