「いつも父の料理をそばで見ていたので、私にとって料理とは“恐ろしいもの”でした。父は凝り性で、きちょうめん。材料を仕入れるために魚河岸まで出かけることもしょっちゅうでしたし、一品を丸一日かけて作るなんてざらでした。だから、私にはずっと『料理ってすごく大変!』というイメージがあったんです」
と話す梅宮アンナさん。学生のころ、父・辰夫さんが朝4時起きで作ってくれていたお弁当に込められた愛情が「少しだけ重かった(笑)」と振り返る。
「中高6年間のお弁当はいつも同じメニューで、牛ヒレのステーキ、卵焼き、焼きたらこ、そして三段重ねののり弁でした。手間も相当かかっていたし、おいしいのですが、さすがに飽きてきて……。お友達のお弁当を見ると、前の夜の残りものだったり、ミートボールやウインナーといった家庭料理。それが羨ましくて、よくお友達とおかずを交換していました」
運動会などの行事があると、さらに早起きして、おにぎりを100個作って、先生や友人たちに振る舞ってくれていたのだそう。
「今、思い返すと、1年遅れて高校に入学した私が学校にすんなり溶け込めたのは、父の愛情たっぷりのお弁当のおかげだったのかもしれません」
辰夫さんが2019年に亡くなったあと、大量のレシピノートが見つかった。そこに書かれていたのは、生前、辰夫さんが振る舞っていた料理の数々。きちょうめんな字で分量まで細かく記され、雑誌のレシピの切り抜きなども挟み込まれていた。
「父の遺品整理をしながらノートを見ていたら、『ああ、この料理、よく作ってくれていたな』『あの料理、また食べたいな』なんて、振り返るようになりました。でも、そんなふうに思えるようになったのは、父が亡くなってから。生きているときは当たり前すぎて、あの味が貴重なものだということに気付けなかったんです」