■アメフトとロックに明け暮れた大学時代。初めは広告代理店に勤務し、27歳で結婚
売野雅勇は、’51年2月22日、栃木県足利市に生まれた。高校卒業を機に上京し、上智大学ではアメフトに明け暮れたが、一方でクリエイティブな世界にも興味を抱いていた。
「博報堂が、一般視聴者から『エメロンシャンプー』のコマーシャル企画を募集していたんです。それで大学時代、アメフト選手たちがグラウンドで練習していて、髪のきれいな女性が振り向くみたいな企画を応募したら通ったんです。撮影もすべて終えたのに、なぜか放映はされませんでした。ディレクターが、白いスーツを着たキザな男でしたね(笑)」
日曜日のアメフトの練習が終わると、渋谷にあった「ブラック・ホーク」という伝説的なロック喫茶にも足を運んでいた。
「ジャズを聴くみたいに、みんながロックを黙って聴いてるんですね。で、しゃべるとシーってやられる。レコードをかける人が気難しい顔をしていたのをよく覚えています」
こうした経験もあり、就職活動はテレビ局やレコード会社、広告代理店などを中心に挑戦した。
「でも、ほぼ全滅で。ニッポン放送は社長面接まで行ったのですが、最終的には落とされて。結局、萬年社という日本最古といわれる広告代理店に入ることに」
営業職で入社したが、間もなく、新聞や雑誌に載せる広告のコピーを主に担当した。そのうちテレビCMも手がけるようになり、ガムのメーカーのCMでヒットを飛ばす。
「クリエイティブディレクターの人が厳しくて、ものすごくいっぱい企画を出さなければならないんですね。苦労のうちに入らないと思いますけど、鍛えられました」
27歳で結婚したのを機に、フリーとして活動を始めた。
「妻と知り合ったのは大学時代。アメフトは珍しいから、近くの女子校の生徒が30人くらい、グラウンドにずらーっと見学に来るんですよ。するとボクたちは『今日はかわいいコいるな』って話題にするんですが、そのなかの一人が妻で、お付き合いするようになった感じですね」
当時の憧れが、映画評論家、音楽評論家の今野雄二さんだった。
「出版社に勤めていた編集者だったんですけど、独立してフリーでやっているような人で、カッコよかったんですね。自分も、結婚に縛られずに自由気ままに生きたいなっていうのがあって。だから妻から結婚を申し込まれたんですが、2回も断っているんです。でも、妻は占いか何かで売野姓になると、夫が成功するといわれたようなんですね。妻の友人たちの説得なんかもあって、3回目はやり過ごせなかったというか、押し切られて結婚したという感じです(笑)」
そんな時期、初めて音楽関係の仕事が入ってきた。CBS・ソニーのレコードやCDの帯コピー、音楽誌に掲載する広告の文章やキャッチフレーズを考案する仕事だ。
「朝10時から夜9時くらいまで仕事するんですけど、試聴室でヘッドホンを耳に当て、ずーっと聴いてるんです。おもしろくない曲は飛ばしたりしますけど」
ここで担当したシャネルズの新聞広告のキャッチコピーが担当ディレクターの印象に残り、「作詞をやってみませんか」と電話がかかってきた。29歳のときだった。