■『少女A』が急遽シングルカットされ大ヒット。明菜をスターダムに押し上げ、快進撃
「コピーが気に入ってもらえたのかもしれませんが、糸井重里さんが『TOKIO』を書いた時代ですから“コピーライターに書かせてみたい”って思ったんでしょうね。シャネルズのメンバーも集まった会議で、ブレーンとして出席しました。若いから頭の回転がよかったですね。アイデアがいくらでも出てくるんですよ。シャネルズの2枚目のアルバム『Heart&Soul』に収録された、鈴木雅之さんが作曲した『星くずのダンス・ホール』が、ボクの作詞家デビュー作(麻生麗二名義)になったんです」
これがきっかけとなり、作詞家として道が一気に広がると、新たな人との出会いにもつながった。シャネルズの大ヒット曲『ランナウェイ』を作曲した井上大輔さんの目に留まったのだ。
「井上さんがソロアルバムを出すとき『シャネルズの曲を書いている、麻生麗二ってやつがいい』って誘ってくださり、井上さんの作家事務所に入ったんです」
プライベートでは、’82年の2月に長女に恵まれた。
「夜中に仕事していたんで、深夜の授乳とかはボクがやる。ゲップをさせるのが、楽しくてね。おかげで妻は夜、ずっと寝られたから『時間が不規則の作詞家と結婚するのも、いいわね』と」
そんな売野のもとに、井上さんのマネージャーから「中森明菜というアイドルがデビューしたんだけど、セカンドアルバムの曲を集めているから書いてみてはどうですか」と連絡があった。
「『ボク、アイドルとか、そんな好きじゃないんですけど』って言うと、『プロの作詞家でやっていくには、こういうのを書かないとダメだよ』ってやさしく言われて」
先方からは、曲のイメージなども伝えられなかった。
「ダメならボツにすればいいやっていうくらいで、そこまで期待もされてなかったんでしょう。詞が先で、あとから曲をつけるということだったので、早く書かなくちゃいけなかったんですけど、全然、書けなくて切羽詰まってきたとき、『少女A』というタイトルだけが、パッと思い浮かんだんです」
かつて沢田研二に書いてボツになった詞があったのを思い出した。
「ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』をイメージしたボツ原稿は、中年の男性が若い女性をプールサイドで口説いてるっていうもの。で、これを少女目線に置き換えたのが『少女A』の最初の2行だったんです」
紆余曲折がありながら、作曲家の芹澤廣明氏のメロディに合わせて詞を組みかえ、明菜のセカンドアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』に収録されることに。このアルバムで、シングルカットされる曲は、明菜のデビュー曲『スローモーション』の作曲を手がけた来生たかお、作詞を手がけた来生えつこの曲に決まりかけていた。
「ところが明菜さんのマネージャーが、レコード会社のディレクターのデスクで『少女A』とデカデカとタイトルを書いた原稿用紙を見て“なんだ、これは”と興味を示してくれて、急遽、『少女A』がシングルカットされることになったそうです」
だが、歌の内容に明菜本人は難色を示したというのは、有名な話。
「『少女A』というタイトルや挑発的な曲の内容が、自分のイメージとは違うということで『こういう歌は歌いたくない』と思ったみたいです。来生さんたちの『スローモーション』の流れからは、だいぶかけ離れていますからね」
だが、セカンドシングル『少女A』は大ヒットとなり、明菜をスターダムに押し上げた。また売野にとっても、作詞家として名刺代わりになるような曲となった。その後、明菜の曲は『1/2の神話』や『禁区』『十戒』など手がけるがー。
「じつはご本人とは、1回しか会ったことがないんです。やっぱり『少女A』の印象が悪かったのかな(笑)。録音スタジオに呼ばれて、挨拶だけしたんですが、見ようによっては不貞腐れているし、見ようによっては売野が嫌いって感じ。でも、ボクはそうした反応も“繊細で傷つきやすい少女”に思えて、嫌な気持ちにはなりませんでした」
『少女A』で新たに出会った芹澤氏とのコンビは、さらに快進撃を続けることになるーー。