■オーディションのことを知り、一筋の光が見えた
――RYOJIさんとSUZUKIさんは、iCON Z第2章に参加する前からDEEP SQUADとしても音楽活動をしていました。GHEEさんとHIROTOさんはオーディションに参加する前はどんな仕事をしていたのですか?
GHEE:トラックの運転手や土木関係の仕事をしたり、とんかつ店のアルバイトもやりました。コロナ禍で上京し、右も左もわからず都会で揉まれていたときにオーディションのことを知り、一筋の光が見えたという感じです。
HIROTO:僕は、親が介護の仕事をしていたので、看護師を目指して医療系の高校と専門学校に行きました。専門学校に通っていたころに歌手になりたいという気持ちが強くなって、オーディションに挑戦しました。安定した道に進んでほしいと思っていた親からはすごく反対されましたし、オーディション中もかなり心配をかけました。今、ようやく親に恩返しできるスタートラインに立てたのかなあと思っています。
GHEE:本格的なレッスンはオーディションが始まってから。小さいころはずっとサッカー選手になりたかったんですが、経済的な理由で諦めたこともあって、両親はずっと自分たちのせいだと悔やんでいました。僕の母はヨーロッパ系のブラジル人で、父は日系ブラジル人です。やはり外国人が日本で暮らしていくのはとても大変で、両親が苦労している姿をたくさん見てきました。歌手になるという新たな夢をかなえ、両親に恩返しをしたいという気持ちでオーディションを受けて、今に至っています。デビューが決まったとき、両親がめちゃめちゃ泣いていたのが忘れられないですね。
――RYOJIさんとSUZUKIさんはすでにプロだったにもかかわらず、あらためてオーディションを受けようと思ったのはなぜ?
RYOJI:DEEP SQUADとしてデビューしてすぐにコロナ禍になってしまって、そんなときにiCON Zのオーディションのことも知って、第1章参加者のライブを観に行ったこともありました。HIROさんからオーディションに参加してみないかというお話があったとき、昔から歌って踊ってラップするアーティストが好きだったことを思い出して、自分ももっとパフォーマンスができる人間になりたいと思ったんです。ずいぶん悩みましたが、この新たな夢を本気でかなえるためには、帰る場所はないと思って臨まなきゃいけない。オーディションでデビューを勝ち取れなかったら、もうプロでやるのは諦めようという覚悟でした。
SUZUKI:実際、いろんな声がありましたし、僕たちが参加することに肯定的じゃない方もいました。でも、自分の夢をかなえるため、DEEP SQUADのため、何より応援してくれている人たちにもっと良い景色を見てもらうためにも、オーディションに参加しようと決意しました。僕たちにはオーディションに落ちても後があると言われましたが、そういう気持ちは全くなかったです。
――お二人も音楽活動以外のお仕事をしていたことがあるんですか?
RYOJI:ペンキ店勤務でした。壁塗りはもちろん、床張りとか左官の仕事もできますよ(笑)。ペンキの色を作る調色もやっていたので、今後はグラフィックとかも挑戦してみたいんです。今の仕事にも生かせることが多いんじゃないかなと思います。
SUZUKI:沖縄から上京したときは、美容師の見習いとして美容室で働いていました。その後はパチンコ、居酒屋、といろんなところを転々と。
RYOJI:音楽業界に入ったのが遅いぶん人生経験も豊富だと思うので、表現する者としてそこを武器にしていきたいですね。