小林幸子 10歳で歌手デビュー、不遇の15年を経てつかんだダブルミリオン
画像を見る デビュー当時の小林さん。デビュー曲『ウソツキ鴎』は20万枚のヒット(写真提供:幸子プロモーション)

 

目元を拭いながら、小林さんは続ける。

 

「そうやって苦労して、生きる女性たちの人生を垣間見られたことが、もしかしたら私の歌に、深みを与えてくれたかもしれないと思ってるんです。それに、その時代、演歌だけじゃ食べていけなくて。いろんなジャンルの歌を歌いました。そんな経験も、いまの私の中で生きていると思うんです」

 

ヒット曲には恵まれないまま25歳に。そして、’78年の大晦日。彼女の姿は伊豆の温泉街にあった。

 

このとき、小林さんは「これで最後」と思っていたシングルのレコーディングも済ませていた。年が明けて’79年の1月。新春ショーを続ける小林さんのもとに、当時の所属事務所のスタッフから1本の電話が入る。告げられたのは、にわかには信じ難い言葉だった。

 

「さっちゃんの曲が、有線でリクエスト1位になってるらしいよ!」

 

早速、教えられた関西の有線放送の事業所に電話を入れた。

 

「すみません、いま、そちらでリクエスト1位の曲はなんですか?」

 

電話に出た女性は「少しお待ちください」と言うと、何やら紙の資料をめくる音が聞こえてきた。そして、数秒後……。

 

「ああ、『おもいで酒』ですね」

 

小林さんが「これで最後」と覚悟を決めてリリースしたばかりのシングル、そのB面の曲名だった。それでも、まだ信じられない。

 

「あの、歌ってるのは誰ですか?」 「えーっと、小林幸子ですね」

 

小林さんは「思わず、受話器を二度見しましたよ」と振り返った。

 

次第に全国的にリクエストが増えていき、レコードが売れ始めた。すると、今度はテレビ。これまで見るばかりだった人気の歌番組から、出演オファーが届くように。

 

「15年、まったく売れない間は神様っていないって思ってたけど、やっぱりいたんだ、私のことちゃんと見ててくれてたんだ、そう思いました」

 

最終的に『おもいで酒』は200万枚のメガヒットを記録。この年、小林さんは第21回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞し、念願だった紅白歌合戦に初出場を果たす。

 

「このときの紅組司会は水前寺清子さん。水前寺さんと私は同期、デビューが同じ’64年なんです」

 

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