萩本欽一82歳語る「僕がまだ走れるのは慎吾がいるから」仮装大賞復活で香取への感謝
画像を見る 母・姉とともに笑顔を見せる駒込高校3年生の萩本。高校卒業後に浅草・東洋劇場でコメディアン修業を始めることに(写真提供:佐藤企画)

 

一方、香取はこんな想いを抱えていた。

 

「僕としては『仮装大賞は欽ちゃんの番組』という意識が強い。だから、引いていたい気持ちがありました。ずっと『もう一歩前に出ろ』と言われてきたけど、自分は下がるべきだと思っていました」

 

同年、萩本はもう1人のキーマンと出会っていた。日本テレビで若手ディレクター13人と深夜帯の『笑いの巨人』を制作。終了後、局の幹部が「誰が局を背負って立ちそうですか」と聞いた。名前を挙げると、「その局員と今度、特番作ってください」と頼まれた。

 

「断った。一番と仕事すると、才能をダメにしてしまう。だって、僕に一歩引いてモノを考えるでしょ。好きにやらせればいいの。いちばんダメなヤツならいいよと言った」

 

それが、今回『仮装大賞』の演出を務めた田中裕樹氏だった。ドキュメンタリーや報道に配属されても、幾度となく萩本に相談を持ちかけ、「いつかまた絶対に一緒に仕事をします」と誓っていた。

 

「プロデューサーが局内でディレクターを探したら、『news every.』の田中が名乗り出たらしいの。『それなら気持ちよく出るに変える』と返事した。僕はテレビに出るとき、ディレクターやプロデューサーに惚れる。新しいよな。報道の人間がバラエティを作るって」

 

数十年前に育てた2人が恩返しとばかりに、欽ちゃんを再びテレビに引っ張り出した。収録前、萩本が「80%ぐらい慎吾1人でやる気持ちで」と伝えると、香取は「90%やります」と燃えていた。

 

『仮装大賞』の舞台に出る前、萩本はこんな感情も抱いていた。

 

「テレビって、最終的には数字だと思うの。70歳や80歳で数字取るって無理だよ。だから、もう出たくない気持ちもあった。自分に価値がないとわかったら、すごくショックだから。でもさ、仮装のために頑張ってる人がいるのにお休みして悪かった。怒られるだろうなと思って出ていったの」

 

意を決した欽ちゃんが登場すると、万雷の拍手と歓声が飛び交った。誰もが待ち望んだ復活だった。

 

「拍手がすごかった。こんなに喜んでくれる人がいるのかと驚いたよ。長いことテレビに出てきたけど、あんなに熱い拍手はなかった。『欽ドン!』が当たったときの拍手は忘れられなかったけど、今になって一番が出てきた。本当に幸せな気分だった」

 

萩本に恩を感じている香取の気持ちはさらに奮い立った。

 

「欽ちゃんが今回の『仮装』に挑むスタンス、一歩踏み出せなかった胸の内を話してくれた。並々ならぬ決意を感じて、僕も一歩前に行けました。それでも本番中、『前に行きすぎていないかな』と気にしていた。すると、欽ちゃんが察してくれて『いい感じだから、そのままもっと前へ!』と背中を押してくれました」

 

今回、審査員にオードリーの若林正恭(45)が初登場した。萩本に興味を抱く若林の希望で、2年前からラジオ特番『キンワカ60分!』(ニッポン放送)を始めた仲だ。

 

「最初に若林を指したとき、マジなコメントから始めて、最後にきちんと落とした。『やっぱりいいな』と思った。僕は、全部笑いにする人好きじゃないの。(修業時代に過ごした)浅草の軽演劇って笑いだけじゃないから。テレビは大人に好まれないと数字行かないんですよ」

 

休憩20分を挟みながらも4時間に及ぶ収録を終えると、萩本は香取に「正直言って、今まで苛立ってたよ。でも、今日の慎吾は最高だったな」と声を掛けた。

 

「俺が危ないと思ったから、とことん頑張ったんじゃない? 慎吾が『初めて褒められた。今まで本当にヒドかったんですか?』と聞くから、『ヒドかったよ』って(笑)。20年前から舞台裏で『1人でやってこいよ』と何度も言っていたからね。アイツ、本当にかわいいの。テレビ出たらさ、先輩を押しのければいいのに、絶対に欽ちゃんの前に出ようとしないんだもん」

 

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