大けがで芸能生活の続行も危機的な状況に(撮影:夛留見彩) 画像を見る

ほぼ同期で年齢も近く30年来の付き合いのキャイ~ン(天野ひろゆきさん・ウド鈴木さん)、ずん(飯尾和樹さん・やすさん)。4人は所属事務所(浅井企画)も同じでデビュー当時から苦楽を共にして来ました。

 

そんな仲よしな4人がエッセイ集『キャイ~ン ずん 作文集 ほぼ同じで、ぜんぜん違う』(徳間書店)を刊行。下積み時代の思い出の地巡りや、4人での旅行の模様、ボケとツッコミが飛び交う座談会、4人それぞれの思いが書かれた作文集など盛りだくさんな内容となっています。

 

2012年、やすさんはバラエティ番組のロケで大けがに見舞われました。新潟のスキー場でゴムボートに乗って滑走し、タイムを争うコーナーで腰を強打し骨折。病院に搬送され手術を受けるという事態になったのです。

 

今回はやすさんが大けがを負った、当時の皆さんの心境についてインタビューマン山下が聞きしました。

 

■「息子は腹をくくっているはず…」

 

――相方の飯尾さんは、さぞかし驚かれたのでは?

 

飯尾:そうですね。その日のロケが、やすも面白くて全員ウケてたんですよ。

 

やす:俺はそのとき、「ずん、売れるな」と思ったんです。それで僕が最後のレースでガァー―! って行っちゃったんですよね。

 

飯尾:やすは放送されないと思ったから「これ俺だけ編集でカットできないかな」って言ってて。「いや、それはいいよ。おまえは治ることだけ考えろよ」って。そしたらやすが「万が一車椅子になったとき…」とか言うから。

 

やす:このケガは「もう無理だろうな」と思ったんで。

 

飯尾:そこから言い合いですよ。「いい、そんなこと考えなくて、歩くことだけ考えとけ」って。

 

天野:やすは腹のくくり方がすごいんですよ。

 

やす:自分でおもいっきり突っ込んだんで「しょうがない」と思って。

 

天野:普通そこまでならないって。

 

飯尾:やすのお父さんもすごかったね。手術がうまくいって、後はリハビリ次第だってときに、宮崎からお父さんが病院に来たんですよ。お父さんがまた、薄い黄色いサングラスかけて迫力あるんです。「マフィアかな」ってぐらいの(笑)。

 

それで番組の関係者や上層部の10数人がエレベーターの前でお父さんを待ってて。「大事なお子さんにケガさせてしまって申し訳ございませんでした」って。そしたらお父さんが「いや、靖英(やすひで)も覚悟して仕事をしてると思うんで、どうなろうともう大丈夫です。あいつは」って。

 

天野:すげぇお父さんだな。普通だったら「ウチの息子をどうするんだ」ってテレビ局とか、みんなに文句いいますよね。

 

飯尾:みんなが「いやいやお父さん」って言ってたら「いや、息子は腹くくってると思いますから」って。

 

■「やすぼんはスーパーマン」

 

――ウドさんはそのときどう思ってたんですか?

 

やす:ウドちゃんも何回もお見舞いに来てくれて。助かりましたよ。

 

ウド:やすぼんの体が良くなることを願ってました。その中で僕ができることは「見舞いに行っておバカな話や、自分のドジな話をして、やすぼんに少しでも笑ってもらうことだなぁ」と思っていました。

 

そういう日々の中ある日、夜に面会に行ったとき、病室にやすぼんの姿がなかったんです。「いったいどこに行ったんだろう?」と探したら、灯りが少しおちた廊下の奥のリハビリ器具が置いてあるところで、一人黙々とリハビリをしていたんです。

 

その姿を見たときに「やすぼんは何てスゴイ人なんだ!」って。

 

――復帰に向けて努力してたんですね。

 

ウド:リハビリは辛くて切なくて、諦めたくなると聞いていましたが、やすぼんは自らを発奮させて、時間を惜しんで努力する。男として人間として惚れました。名医のお医者さんに手術をして頂けたことや、病院の皆さんの愛情と励まし…しかも看護師さんがみんな可愛くて。

 

飯尾:看護師さんが可愛くて?

 

ウド:すごい丁寧にやすぼんのことを思ってくれているから、よかったなと。

 

飯尾:ウドは看護師さんに会いにきてたんだろ!(笑)

 

やす:そういえばウドちゃん、看護師さんと話がはずんでました(笑)。

 

ウド:でも全員が可愛かったんですよ。

 

――「だからしょうがないでしょ!」じゃないんですよ(笑)。

 

ウド:やすぼんが元気になったのはその看護師さんのおかげもあると思うんです。そしてやはり、やすぼんの清らかな精神とたゆまぬ努力や「みんなの思いに感謝して応えたい」というまっすぐで優しい強い気持ちが奇跡を起こしたのだと思います。やすぼんは、正に、スーパーマンです! そう! やす~パ~マン! です!

 

■「いつ何時も笑いを忘れるな」。お見舞い大喜利大会が始まった

 

――当時は冗談が言える雰囲気もあったんですか?

 

天野:俺は冗談が言える空気じゃないときに「やす、大丈夫か?骨が折れて大変なんだろ?」ってアロンアルフアを持って行きましたから(笑)。

 

やす:「骨がくっつかなかったら、これで」って。「くっつくか!」(笑)。

 

天野:いつ何時も笑いを忘れるなという明石家さんま師匠の教えを守って。

 

やす:後、腰をケガしてるのにお見舞いにフラフープ持ってくるやつもいたし。しかもそれが二人いたんですよ。

 

天野:そのお見舞い大喜利、かぶりたくないな。

 

飯尾:出川(哲朗)さんがお見舞いに来てくれたんですけど、出川さんはロケとかで全身ケガしてるじゃないですか。それで家に置いてあった今まで自分がケガしたときにつけてたギブスを、病院の1階で全部付けて。

 

やす:両足、両手ギブスで松葉杖をついて出川さんが病室に入ってこられたんですよ。

 

飯尾:それで出川さんが「やす、甘いこと言ってじゃねぇぞ」って言ってたんですけど、やすが剣道の銅みたいなバカでかいコルセットを付けているのを見て「やす、それには勝てないわ~ そのコルセットは持ってないわ」って(笑)。

 

 

キャイ~ン&ずん明かす「番組事故で大けが…やすの入院生活秘話」出川哲朗が全身ギブスでやってきて【キャイ~ン&ずん30年来の親友対談】
画像を見る 『キャイ~ン ずん 作文集 ほぼ同じで、ぜんぜん違う』(徳間書店)

https://www.amazon.co.jp/dp/4198657947/

 

【PROFILE】

キャイ~ン

天野ひろゆき(54)とウド鈴木(54)によって1991年に結成。それぞれが、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』で参加した音楽ユニット「ポケットビスケッツ」と「ブラックビスケッツ」は社会現象となりNHK紅白歌合戦にも出場した。芸能界イチ仲のいいコンビとして知られる。YouTubeチャンネルは「キャイ~ンのティアチャンネル」

 

ずん

それぞれ別のコンビでの活動を経て、飯尾和樹(55)とやす(54)が2000年にずんを結成。飯尾は料理、やすは柔道という特技をもつ。コンビでも、単独でも活躍の場を広げた。それぞれ俳優業も行っており、演技力が高く評価されている。飯尾は8月23日公開の映画「ラストマイル」に、やすは8月9日公開の映画「ブルーピリオド」に出演する。

 

インタビューマン山下

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

出典元:

WEB女性自身

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