「いっそ飛び降りてしまおう」ひろみちお兄さんが独占告白…脊髄梗塞から奇跡の回復までにあった「絶望の闘病生活」
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■妻が感じていた半年前からの異変

 

「倒れた日(6月2日)は地方で研修会の仕事があったのですが、その日の朝に左足が痺れてリビングで転倒してしまったんです。そのときは僕も妻も特に気にすることなく2人で家を出たのですが、空港に着いたころから急に具合が悪くなって。

 

とにかく気持ち悪いのと、背中から腰にかけて激痛が襲ってきました。妻の手を借りて何とか飛行機に乗ったものの、腰が痛くて動けなくなってしまいました。

 

妻もただごとではないと感じ、着陸後すぐ病院に行けるよう手配してくれたのですが、立ち上がろうとしても、すでに下半身が麻痺していて足に感覚がないんです。車で搬送してもらい診察を受けると『これは骨の異常ではないね』と。宿直の先生が脳神経の専門だったおかげで『脊髄梗塞かもしれない』と、迅速な診断をしてもらえたのは不幸中の幸いでした」

 

50代半ばにして“お兄さん”と呼ばれる佐藤だが、テレビでの活発なイメージそのままに、これまで大病をしたことはなかった。

 

しかし、妻の久美子さんは半年ほど前から夫の異変を感じ取っていた。久美子さんが言う。

 

「眠っているときに、大きないびきをかくようになったんです。以前はそんなことはなかったのですが。地方での仕事の際、パパと一緒の部屋に泊まった長男も『すごいいびきだった』と言っていたことがありました」

 

佐藤自身も、発症の2日前に異変があったと振り返る。

 

「地方のレギュラー番組で体操コーナーの収録があり、筋トレの実演をしたのですが、終了後になんだか背中が痛くて、妻に湿布を貼ってもらったんです。経験したことのない痛み方だなとは思いましたが、翌朝には落ち着いたので、いつもどおりに仕事をしました。その翌日になって発症したんです。体調がどんどん悪くなり、まさか足が動かなくなるとは思わなかったので、ただ恐怖しかありませんでした」

 

「脊髄梗塞」は初めて耳にする病名で、その恐ろしさを前に、当初は現実を受け入れる気持ちの余裕がなかった。

 

「理学療法士さんや作業療法士さんがたびたび『回復が早いですね』などポジティブな声掛けをしてくれたのですが、自分の心の中は『これからどうなるんだろう……』という不安ばかり。

 

ネットで調べても《経過観察でしかわからない》とされているし、できることはせいぜい足の指をなんとか動かして『神経つながってくれ……』と願うだけで」

 

尿意や便意の感覚を失ってしまったショックも大きかった。

 

「尿管を入れていましたし、排便を促すために毎日薬を飲み、腸を動かして便を軟らかくした後にトイレに向かうのですが、すぐには出られません。

 

最初はオムツを外すこともできず、『このままの生活は耐えられない』と思い悩む日々でした」

 

体の自由を奪われたことで、一時は病室の窓を見て「いっそ、ここから飛び降りてしまおう」とまで考えた。追い詰められた佐藤を救ったのは、ほかならぬ家族の支えだった。久美子さんが振り返る。

 

「ふだんは弱音をはくようなタイプではないのですが、入院直後は『僕は一生車いすだから』などの弱気な発言ばかり。LINEにも《これから一生迷惑かけるけど》などの返信が続きました。

 

地方の病院に入院したので、私たちが毎日お見舞いに行けるわけでもありません。そこで、子どもたちと話し合い、入院の2日後からは家族のグループLINEを使って『毎日パパを楽しませよう』と決めたんです」

 

おもしろい動画を送ったり、「退院したらパパが食べたいものランキング」をつけたりもした。結果は、1位がラーメンで2位がすし、3位はステーキ。どんなことでもいい、とにかく前向きな言葉だけを並べた。

 

「ほかに“うれしいサプライズ”も心がけました。たとえば、長男が病院にお見舞いに行くときには前もって知らせず、『昨日、お母さんに靴下頼んだよね?』とLINEを送ってから、直後に『ウーバーイーツで~す』と言って急に病室のドアを開けたり。

 

仕事が忙しい次男が会社を休んで病室を訪れたときは、パパが涙を見せていたそうです」

 

家族の献身や周囲のサポートのおかげで、再び前を向くことができたと佐藤は語る。

 

「入院を公表すると、ファンの方からメッセージをもらったり、以前から関わっている園の子どもたちやスポンサー関係者の方から千羽鶴が送られてきて、勇気づけられました。病院のスタッフさんや家族の励ましにも背中を押されて『一歩でもいいから歩きたい』という気持ちが芽生えてきたんです。

 

そこからはリハビリの先生方も追い込みが厳しくなって。一日も早く回復するために懸命にリハビリに励みました」

 

ごく限られた動かせる神経を頼りに、懸命に足を動かす努力を続けた。すると、3週間で都内の病院に移り、リハビリ病院を経て8月20日に退院報告と、奇跡のスピードで回復を遂げた。

 

「リハビリ中は必死の形相をしていたようで、看護師さんから“鬼の佐藤さん”って呼ばれていたと後から聞きました(笑)。平衡感覚は戻っておらず、まだスタスタとはいきませんが、1キロは歩けるようになりました。

 

先生方からは『生まれ持った運動神経だね』と言われましたが、ここまで回復するには普通だいたい半年以上はかかるそうです」

 

退院後の楽しみにしていたのが、自宅の湯船につかることだったという。

 

「ただ、足を入れても、熱いのか、冷たいのかわからなくてショックでした。胸までつかってようやく温かいと感じることができて。まだこういう感覚なんだと」

 

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