「言いなりでした」熊谷真実 連絡先を削除させられ、打ち上げも参加禁止…初めて明かした「10年の洗脳体験」
画像を見る いじめ、2度の離婚、洗脳生活…半生を語った熊谷真実(撮影:花井知之)

 

■「少女パレアナになりたいと思った」、苦悩を救った一冊の本

 

熊谷真実は’60年3月10日に東京都で生まれ、3姉妹の次女として育った。妹は女優の松田美由紀(62)。松田優作さんは義弟、松田龍平(41)や翔太(38)、ゆう姫(36)はおい、めいにあたる。

 

「父は、福岡から東京に出てきて、一代で、洋服の卸業や洋品店の経営で成功しました。母は事業の手伝いや店番をしており、毎日のように業者が出入りしていたので多忙だったと思います」

 

少女時代の真実はメガネをかけていたことをからかわれ、男子のいじめにあった。

 

「熊谷の“がい”から『公害だ!』なんてからかわれたことも。親が心配して、中学・高校は6歳上の姉が通っていた私立の女子校に入学したのです」

 

ところが、女子校でもうまくなじめない。

 

「ある日、ホームルームで私の言動が議題に上がったことがありました。男の人の前だと目をぱちくりさせていたみたいです。それが『ぶりっ子をしている』と批判されました。どうしたらみんなと仲よくなれるんだろうと悩んでいたとき、ある一冊の本と出合いました。アメリカの作家、エレナ・ポーターの小説『少女パレアナ』という本です」

 

孤児院で育ったパレアナが、どんな困難のなかでも、良かったことや喜べることを見つける“喜びのゲーム”によって明るくポジティブに生きていく姿を描いた作品だ。日本では’86年に『愛少女ポリアンナ物語』としてアニメ化され、「良かった探し」という言葉も有名になった。

 

「なんでも喜びに変える少女パレアナに心からなりたいと思ったんです。ぶりっ子だからと非難されるなら、逆にベリーショートにして、言葉遣いも男っぽくキャラ変して、楽しんでみようって」

 

それが功を奏して、逆に人気の存在に。所属していた演劇部の舞台に立つと女子生徒たちから嬌声を送られるほどだった。

 

高校卒業後、劇作家のつかこうへい氏の舞台『サロメ』の主役オーディションに合格。

 

「次々に奇跡のようなセリフを紡ぎ出す12歳年上のカリスマ作家に、18歳だった私はすっかり恋をしてしまったのです。あるとき、つかさんに連れられてドラマ撮影の見学に行くと、その後ドラマへの出演が決定。ドラマの名前は『三男三女婿一匹』。当時人気のテレビドラマで私は研ナオコさんの後釜に入る看護婦の役でした」

 

19歳のときにはNHKの連続テレビ小説『マー姉ちゃん』のヒロイン役を射止めた。だが彼女は“好きになったら結婚”という一途な思いを抱いていた。’80年、20歳の若さで、つか氏と結婚。

 

ところが結婚後、つか氏は彼女に主婦業を求めた。

 

「つかさんの生み出す作品が大好きで、つかさんの稽古場にいっしょに行けると思っていたのに、結婚したとたん、家にいなさいと言われて……。帰ってくるつかさんを待ち続けるには、まだ幼すぎたのですね。当時21歳の私は母とマネージャーに離婚届を出してもらって、2年間の結婚生活は終わりました」

 

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